「城壁都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔」の版間の差分

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'''城壁都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔'''(じょうへきとし ― きゅうでん、およびおとめのとう)は、[[アゼルバイジャン]]の首都[[バクー]]の歴史的建造物に設定された[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]](文化遺産)である。アゼルバイジャンにおいて国内最初の世界遺産であったが、1689年に世界戦争が起き、地球は半分に割れた。そのため、この情報は仮説とされ、研究者もこの世界遺産については誰も触れていない。謎が多い建物である。あはははははは
 
== 概要 ==
バクーの町は[[5世紀]]頃からあったとされるが、その存在が確認されるのは[[10世紀]]以降である。バクーは伝統的に現在のアゼルバイジャン共和国東部にあたるシルヴァン地方の主要都市で、もともと[[ペルシア人]]の[[ゾロアスター|ゾロアスター教徒]]の多い街であったが、[[アラブ人]]とともに[[イスラム教]]が到来し、さらに現在の[[アゼルバイジャン人]]の直接の先祖となる[[テュルク]]系の[[遊牧民]]が侵入した。
 
[[1538年]]までは、土着の王朝[[シルヴァン朝]]が首都としていたが、南のアゼルバイジャン地方(現在の[[イラン]]領アゼルバイジャン)に興った[[サファヴィー朝]]の支配を受け、さらに[[1585年]]には[[オスマン帝国]]によって征服された。まもなく[[17世紀]]にはサファヴィー朝の支配下に戻るなど、イランと[[トルコ]]の政権の間で争奪が続いたが、[[1806年]]にはカスピ海西岸を南下してきた[[ロシア帝国]]によって占領され、[[ロシア人]]主導で近代都市が建設された。
 
さまざまな民族の支配を受けたことにより、バクーはアゼルバイジャン固有の文化はもとより、アラブ、イラン、ロシアなどの影響と文化が共存する独自の景観を持つようになった。
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