「松本空港」の版間の差分

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=== 開港からジェット化までの地道な発展 ===
1943年に陸軍により建設された[[松本飛行場]]は当空港の北側一部が跡地であり、当空港と直接の繋がりはない。
 
1963年2月18日に着工、建設費は3億7300万円。開港後、まず1966年8月5日から17日までの期間限定で、東亜航空(後の[[日本エアシステム]])が[[大阪国際空港]]との1日1往復[[コンベア240]]による不定期便を開設、その後1966年10月20日から同空港との間に不定期ではあるが、主に乗客の多い夏季に路線が開設されるようになった。開港当初から、[[東京国際空港]]間の路線を開設しようとする動きがあったが、[[東京都]][[立川基地]]上空の飛行制限などから迂回ルートとなり、採算が望めないという理由で、一度も開設されなかった。その他用途としては、長野県警察本部の山岳警備用ヘリコプターの発着や軽飛行機用に細々と運営される、という状況であった。大阪線は1982年から通年運航となり、東亜国内航空(当時)の[[YS-11]]が1日2往復する、という状態が1993年まで維持された。