「マルセル・プルースト」の版間の差分

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;模作と雑録(''Pastiches et Mélanges'')
:物まねが得意であったプルーストはまた文体模写にも才能を発揮しており、1908年から1909年にかけて、当時ロンドンで起こったルモワーヌ事件と呼ばれる詐欺事件(ルモワーヌというフランス人技師が、ダイヤモンドを人工的に作る方法を発明したと称してダイヤモンド鉱山会社から金を騙し取ったもの)を題材にしてフランスの様々な古典作家の文体を用いた戯文を『[[フィガロ (新聞)|フィガロ]]』紙に発表した。対象となった作家は[[オノレ・ド・バルザック|バルザック]]、[[ジュール・ミシュレ|ミシュレ]]、[[ゴンクール兄弟]]、[[ギュスターヴ・フローベール|フローベール]]、[[シャルル=オーギュスタン・サント=ブーヴ|サント・ブーヴ]]など8人で、プルーストはさらに多数の作家の文体模写を加えて大規模な模作集を作る計画も持っていたが実現せず、上記の作家に[[アンリ・ド・サン=シモン|サン・シモン]]一人を加えた内容のものが1919年に刊行された『模作と雑録』に収録された<ref>チリエ、215-216頁</ref>。
;サント=ブーヴに反論する(''Contre SaintSainte-Beuve'')
:1908年ころ、上述の模作をきっかけにして、プルーストは批評家サント=ブーヴに対する批判を中心とした評論作品を書こうと思い立った。サント=ブーヴはフローベールなどと同時代の人物だが、彼は文学作品とその作者の実人生や人となりとを不可分のものと考えて批評を行い、バルザックやスタンダール、フローベールなど、プルーストが敬愛していた作家たちをその観点から低く評価していた。プルーストはこれに対して、作家の外面的な自我とより深層にある自我とは別のものだという観点から、作家を離れて作品と向き合うという文学観を提示することで、これらの作家を低評価から救おうとしたのである<ref>石木、125頁-127頁</ref>。プルーストはまた同時に小説断片も書き進めており、当初の予定では前半を小説、後半を評論としてまとめた一つの作品にするつもりであった。しかし出版先を探しながら書き直していくうちに構成が変わっていき、これが『失われた時を求めて』へと発展していくことになった<ref>石木、129-131頁</ref>。従って同タイトルの著作が生前に刊行されたわけではないが、1954年に評論部分の未定稿をもとにした同タイトルの著作がベルナール・ド・ファロワにより刊行されている。
;[[失われた時を求めて]](''A la Recherche du Temps Perdu'')