「近親婚」の版間の差分

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=== 日本 ===
『[[古事記]]』『[[日本書紀]]』には王族・皇族において異母兄弟姉妹婚や叔姪婚やいとこ婚などといった近親婚の例が数多く記載されている。だが、中には[[景行天皇]]が息子の[[ヤマトタケル|倭建命]]の曾孫の迦具漏比売命を妻にし[[彦人大兄命|大江王]]をもうけたという『古事記』の記録に対して、倭建命という伝説的な人物を実在の人物として組み込んだために系譜に混乱が発生したのではないかと指摘された事例もある<ref>{{cite journal|author=[[大久間喜一郎]]|date=1993年3月1日|url=https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/10103/1/kyouyoronshu_259_1.pdf|format=PDF|title=景行天皇記に於ける倭建命|journal=明治大学教養論集|publisher=[[明治大学]]|volume=259|pages=1-12|issn=03896005|naid=120002908763|accessdate=2011-08-08}}</ref>。ただし、血の純潔さを尊重する立場から近親婚が好んで行われたことは確かなものと考えられる。[[大林太良]]は記・紀で近親婚が盛んに出てくる時期が、「[[仁徳天皇]]とその子の世代」、「[[敏達天皇]]とその子の世代」の二つの時期に限られることを指摘し、この二つの時期が王権の充実期であることから、それにともなう王統の確認の一環として近親婚があったのではないかとしている(大林,1987年)<ref>[[田中良之]] 『古墳時代親族構造の研究 -人骨が語る古代社会-』 [[柏書房]] 1995年 p.226.</ref>。

また、『日本書紀』の[[仁賢天皇]]紀には天皇家と全く関係がないようなただの一般人女性が異母のキョウダイ(双方の母親が母娘の関係のためオジでもある男性)と結婚している逸話も挙げられている。[[古代]]の[[大王 (ヤマト王権)|大王]]家と[[蘇我氏]]、及び[[平安時代]]以降に続けられた[[皇室]]と[[藤原氏]]との婚姻も、同姓間ならぬ近親婚の累積である。
 
中世以降、武家社会においても、例えば[[足利将軍家]]には[[日野家]]、[[紀州徳川家]]には[[伏見宮|伏見宮家]]、[[井伊氏|井伊家]]([[彦根藩]])には[[蜂須賀氏|蜂須賀家]]([[阿波藩]])、蜂須賀家には[[小笠原氏|小笠原家]]というように、支配層上層での正妻の生家の固定が見られ、母親と同じ家の出でかつ同世代の娘との婚姻が推奨されることにより、結果的にいとこ婚、またいとこ婚などが推奨されることが多くあった。中世から近代にいたるまで同族内での婚姻がしばしば行われた[[島津氏|島津家]]や[[伊東氏|日向伊東家]]、[[佐竹氏|佐竹家]]のような例もある。