「スティーブン・キャリエール」の版間の差分

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| 体重 =
| コーチ =
| 元コーチ = [[ナ・マレイ]]<br />[[プリシラ・ヒル]]<br />カール・カーツ<br /> [[ペーター・ヨハンソン]]<ref name="passion"/><br />[[マーク・ミッチェル]]<ref name="passion"/><br />スーザン・ハメル=ボタリ
| 振付師 =
| 元振付師 = [[タニス・ベルビン]]<br />[[デヴィッド・ウィルソン (フィギュアスケート選手)|デヴィッド・ウィルソン]]<br />[[イリーナ・ロマノワ]]<br />スティーブン・キャリエール<br />ジェイミー・イスレイ<ref name="passion"/><br />マーク・ミッチェル<ref name="passion"/><br />スコット・ブラウン
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マサチューセッツ州ウェイクフィールドに生まれる。5歳のとき、五輪で滑る同州出身の[[ナンシー・ケリガン]]を見て影響された姉とともにスケートを始めた<ref name="colors2007">小坂有紀編『COLORS 2007 フィギュアスケート男子読本』あおば出版、2007年3月、p.111</ref><ref name="passion">梅田香子『PASSION 2009 フィギュアスケート男子シングルフォトブック』双葉社、2009年2月、p.110</ref>。2006-2007シーズン、[[2006/2007 ISUジュニアグランプリ|ジュニアグランプリ]]の3大会で優勝し、[[2007年世界ジュニアフィギュアスケート選手権|世界ジュニア選手権]]でも優勝を果たした。2007-2008シーズンよりシニアに転向。地元アメリカで開催された[[2007年スケートアメリカ|スケートアメリカ]]では4位。[[2007年NHK杯国際フィギュアスケート競技大会|NHK杯]]では公式練習中に左足踵に右足のトウが刺さり、数針縫ったものの<ref name="0708fb"/>グランプリシリーズ初の表彰台となる3位となった。[[2008年四大陸フィギュアスケート選手権|四大陸選手権]]ではパーソナルベストを更新して4位につけた。
 
2009-2010シーズン、コーチを[[マーク・ミッチェル]]とピーター・ヨハンソンから[[プリシラ・ヒル]]とカール・カーツに変更。全米選手権は足首の怪我により途中棄権。翌シーズンの全米選手権も同様の理由で欠場した。2011-2012シーズンからはコーチを[[ナ・マレイ]]に変更。[[2011年アイスチャレンジ|アイスチャレンジ]]でシニアの国際大会で初優勝。全米選手権は6位<ref name="IN20130914">[http://www.icenetwork.com/news/2013/09/14/60574828 Salt shakers: Gold finds, fixes some loose screws]</ref>。
 
2014-2015シーズン、4シーズンぶりに[[2014/2015 ISUグランプリシリーズ|グランプリシリーズ]]に出場した。全米選手権は右足首の感染症により出場ができなかった。2015年6月10日に引退を発表した<ref>[http://web.icenetwork.com/news/2015/06/10/129766270 Boston's Carriere walks away with head held high]</ref>。