「平安海進」の版間の差分

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'''平安海進'''(へいあんかいしん)とは、[[8世紀]]から[[12世紀]]にかけて発生した大規模な海水準の上昇(海進現象)のこと。'''ロットネスト海進'''とも呼ばれているが、日本における当該時期が[[平安時代]]と重なるためにこの名称が用いられている。
 
ローズ・フェアブリッジ教授([[:en:Rhodes Fairbridge|en]])の海水準曲線によると、8世紀初頭(日本の[[奈良時代]]初期)の海水面は、現在の海水面より約1メートル低かった。[[10世紀]]初頭には現在の海水面まで上昇した。[[11世紀]]前半には現在の海水面より約50センチメートル低くなった。12世紀初頭に現在の海水面より約50センチメートル高くなった<ref name="UNESCO1963">[[国際連合教育科学文化機関|UNESCO]], 1963, {{PDFlink|[http://unesdoc.unesco.org/images/0006/000698/069895mo.pdf CHANGES OF CLIMATE]}}Proceedings of the Rome Symposium orgunized by Unesco und the World Meteorological Orgunization, p238.</ref>
 
日本においても平安海進の影響は大きく、特に[[縄文海進]]の時にも大規模な海進が生じた[[関東地方]]ではそれが顕著であった。例えば、[[下総国葛飾郡大嶋郷戸籍|戸籍]]の一部が残されていることで知られている[[下総国]][[葛飾郡]][[下総国葛飾郡大嶋郷戸籍|大嶋郷]]は現在の[[東京都]][[葛飾区]]及び[[江戸川区]]の太日川([[江戸川]])の自然堤防及びその周辺にあったと推定され、現地では大嶋郷の集落の一部とみられる遺跡(葛飾区の[[新宿町遺跡]]など)が発見されているが、8世紀まで順調に発展してきた集落が9世紀に入ると突然姿を消している。それを裏付けるかのように[[承平 (日本)|承平]]年間に著された『[[和名類聚抄]]』の郷名の一覧からは大嶋郷の名前は姿を消している。こうした変化は海進によって現在の東京低地(東京都の下町地域の低地)への大規模な海水の浸水・荒廃化をもたらしたことが原因と考えられ、また周辺地域の陸路・水路の交通路や交易圏の動向にも大きな影響を与えたと考えられている<ref>田中広明「古代集落の再編と終焉」(所収:浅野晴樹・齋藤慎一 編『中世東国の世界 1北関東』(2003年、高志書店) ISBN 978-4-906641-75-8)</ref>。しかし一方で、同地域の江戸川沿いの海抜は比較的高く<ref>[https://www.gikai.city.edogawa.tokyo.jp/voices/GikaiDoc/attach/Se/Se343_111tinzyou.pdf 江戸川区議会資料]</ref>、0.5メートルほどの海進では水没しない地域が大半であるため、大嶋郷の荒廃化について原因は定かではない。