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[[日本]]では数十年前から[[大学]]の探検部の活動分野として一部の愛好家でのみ行われてきたが、その頃はまだラフティングという言葉は使われておらず、技術的にも安全性にも乏しいものであった。[[1976年]]大学の探検部等が中心になり第一回の[[日本リバーベンチャー選手権大会]]が開催された。この大会はその後も毎年行われており、現在ではそれに加えて4~11月のシーズン中には全国様々な河川で10を超える数の大会が開催されている。
 
日本国内では、8080年代から小規模に行われてきたが、四国-吉野川で営業がスタートしたことを皮切りに、東日本では群馬県-利根川でツアーが催行され少しずつラフティングは一般に知られるようになる。[[1990年代]]後半にラフティングブームが起こりラフティングは1つのレジャーとしての地位を確立した。近年ではラフティングは小学生から中高年老若男女が楽しめるアクティビティとして広く認知され、[[中学]]や[[高等学校|高校]]の[[修学旅行]]のプログラムの一つに組まれるようにもなった。
 
人気レジャーの一角を担うラフティングではあるが、それに合わせて問題も発生してきている。業者ラフティングはガイドの経験があれば誰でも資格なしに開業できるため、業者が増えることで競争が激化し、料金の値下げや競争や一部の業者ではそれが原因でガイドの質が落ちたり、それも起因して隆盛時にかかわらず、重大事故、死亡事故も毎年発生している。外国人ガイドの不法滞在に代表される一部のガイドや業者のモラル低下は特に指摘されている。また、近隣住民からの騒音苦情、地元の漁業組合とのトラブルなども合わせてラフティングへの風当たりも強い面もある。特に、修学旅行などで危機意識のないまま参加させるなど、問題になっている。旅行で危機管理の自己責任を取らすような行為は無謀である。教師、学校側も責任を問われるべきである。
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国内でレースラフティングが盛んになってきている。
現在の世界ラフティング協会(IRF)制定する競技ルールになり日本代表チームが世界大会に初出場したのは1999年、南アフリカのオレンジ川で開催されたキャメルホワイトウォーターチャレンジ(cwwc)が最初。みなかみで結成されたRapid Mastersが前身となり、Team TEIKEIというラフティングチームが結成されたことから、国内でレースラフティングが、年々盛んになってきている。
* 2007年ラフティング世界大会では、日本チームが総合778点で、[[ブラジル]](783点), [[チェコ]](781点)に次ぐ3位の成績を収めた。<ref>[http://www.intraftfed.com/Sport&Comp/WRC%20Results%202007.pdf www.2009wrc.comの成績表(PDF)]</ref>
* 2009年ラフティング世界大会はボスニア・ヘルツェゴヴィナで5月17~24日まで開催された。総合成績では男子1位ブラジル2位日本3位イギリス女子1位カナダ2位日本3位チェコ。日本チームは男女ともに準優勝の活躍をみせ、日本のラフティングレーサーチームのレベルが世界トップクラスであることを証明してみせた。<ref>[http://www.2009wrc.com/portal/ www.2009wrc.com]</ref>
* 2010年ラフティング世界大会はオランダで7月に開催された。男子日本代表はラフティングチーム・[[テイケイ]]。女子日本代表はTHE RIVER FACEである。日本チームは男女ともに総合優勝した。世界大会において一つの国の男女ともに総合優勝したのは今回が初。
* 2011年コスタリカ大会では男子が2連覇。
* 2013年ニュージーランド大会では男子が準優勝。
* 2014年ブラジル大会では女子が準優勝を果たした。
 
== 脚注 ==