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[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]では、通算75試合登板、4勝5敗、[[防御率]]4.66という成績を残した。オフに[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]に入団した。
=== 横浜時代 ===
{{by|2004年}}はシーズンを通して先発ローテーションを守り、防御率4点台後半と安定感を書きながらも[[セドリック・バワーズ]]、[[吉見祐治]]と並ぶチームトップタイの7勝をげる活躍を見せた。結果的にチームは3年連続最下位でシーズンを終了したがその中で奮闘した。しかし、シーズン終了後に[[戦力外通告]]を受け、退団した。
=== 巨人時代 ===
翌{{by|2005年}}はシーズン中に[[読売ジャイアンツ]]に入団。エース[[上原浩治]]の不調など、開幕から低迷するチームの救世主として期待され、一時は[[東京ドーム]]で負けなしの連勝街道を走り、古巣相手に初[[完封]]も記録したが突然崩れる試合も目立った。[[7月28日]]の[[阪神タイガース]]戦では2回に3被[[本塁打]]を含む連打を浴びるなど、一挙9失点(自責点8)を喫し、この回途中でKOされた。最終的に22試合の登板で6勝8敗、防御率6.22の成績終わった。これが原因でこの年限りで解雇された。
 
=== アメリカ復帰 ===
 
{{by|2006年}}は、[[アトランタ・ブレーブス]]傘下3Aの[[リッチモンド・ブレーブス]]でプレーした。