「久間章生」の版間の差分

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|国略称 = {{JPN}}
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1940|12|4}}
|出生地 = {{JPN}} [[長崎県]][[南高来郡]][[加津佐町]]<br />(現・[[南島原市]])
|没年月日 =
|死没地 =
|出身校 = [[東京大学]][[大学院法学政治学研究科・法学部|東京大学法学部]]卒業
|前職 = [[長崎県庁]]農林部職員
|現職 =
|所属政党 = [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]
|称号・勲章 = [[法学士]](東京大学・[[1964年]])<br />[[旭日大綬章]]
|世襲の有無 =
|親族(政治家) =
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|国旗3 = JPN
|職名3 = 第59代 防衛庁長官
|内閣3 = [[第2次橋本内閣]]<br />[[第2次橋本改造内閣]]
|選挙区3 =
|当選回数3 =
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|職名4 = [[衆議院議員]]
|内閣4 =
|選挙区4 = ([[長崎県第1区 (中選挙区)|旧長崎1区]]→)<br />[[長崎県第2区|長崎2区]]
|当選回数4 = 9回
|就任日4 = [[1980年]]
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|元首4 =
|国旗5 =
|職名5 = [[ファイル画像:Flag of Nagasaki Prefecture.svg|長崎県旗|22x20px]] [[長崎県議会]][[議員]]
|内閣5 =
|選挙区5 =
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[[長崎県]]南高来郡[[加津佐町]](現・[[南島原市]])の[[農家]]に生まれる。両親は[[教育者]](父は高校教員、母は中学教員)。
 
[[長崎県立口加高等学校]]・[[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|東京大学法学部]]卒業後、[[農林水産省|農林省]]に入省。農林省退職後に[[長崎県庁]]に入庁し<ref>『[http://www.kantei.go.jp/jp/daijinmeibo/9709kakuryo/17kyuumahumio.html 防衛庁長官]』[[内閣官房|内閣官房内閣広報室]]。</ref>、[[長崎県議会]]議員を経て、[[1980年]]に衆議院議員に初当選。[[第2次橋本内閣]]で[[防衛庁長官]]として初入閣。
 
小泉[[政権]]時代、同じ[[平成研究会|橋本派]]の[[野中広務]]・[[綿貫民輔]]らが反小泉の姿勢を採る中、[[額賀福志郎]]らと共に、親小泉の姿勢を見せていた[[参議院]]の実力者・[[青木幹雄]]と共同歩調をとり、衆院橋本派の大幹部となった。2002年6月に[[鈴木宗男事件]]が発生して[[衆議院]][[本会議]]で[[鈴木宗男]][[議員辞職勧告決議]]が採決された時は、起立採決の際に出席議員で唯一着席したままで、反対票の意思表示を示した<ref>綿貫民輔衆議院議長が「起立総員」と宣言したことにより、議事録上は全会一致として扱われている。</ref>。小泉政権下では、2003年に[[自由民主党幹事長]]代理、2004年〜2006年に[[自由民主党総務会|自由民主党総務会長]]に起用される。[[2005年]]の[[郵政国会]]では[[6月28日]]に[[自由民主党総務会]]における[[郵政民営化法案]]の決議においては、総務会長として議事を担当し、[[全会一致]]の慣例を破る形で[[多数決]]で採決させ[[党議拘束]]の理由を作った。
 
[[2006年]]9月26日、[[第1次安倍内閣]]で再び防衛庁長官として再入閣。その後、[[2007年]]1月9日に防衛庁が[[防衛省]]に昇格したのに伴い、初代[[防衛大臣]]となったが、2007年6月30日に開かれた講演会での[[#「原爆しょうがない」発言|原爆投下をめぐる発言]]で、被爆者団体を筆頭に被爆者や遺族などから問題視され、同年[[7月3日]]、この発言の責任を取る形で大臣の座を追われた。その後も[[マスコミュニケーション|マスコミ]]による批判[[報道]]や、反核平和団体や、被爆者団体などからの反発や、抗議活動が続き、同年[[8月9日]]に長崎で行われた平和祈念式典を欠席せざるを得ない状況に追い込まれた。<!--マスコミによる「しょうがない」発言ばかりを取り上げていた点も考慮すべき点である。一種の言論弾圧の被害者でもある。-->(→[[#「原爆しょうがない」発言|後述]]を参照)
 
{{要出典範囲|頭は切れるという評判がある。郵政国会下では総務会長権限による多数決採決という強権発動による党議拘束の理由作りで、[[郵政解散]]と[[小泉劇場]]の下地を整えた。[[山田洋行事件]]で[[防衛事務次官]]の[[守屋武昌]]が[[証人喚問]]において「接待の場に久間氏と額賀氏が同席」と答弁した際、自らは外遊の予定を直前でキャンセルして「解離性大動脈瘤」の大手術として病院に入院して証人喚問を受けにくくする一方で現役閣僚で身動きが取れなかった額賀のみに嫌疑の批判を大きく集中する構図となり相対的に自身への嫌疑を少なくさせた|date=2013年12月}}。
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== 略歴 ==
[[画像:Fumio Kyuma.jpg|thumb|200px|[[第1次安倍内閣]]防衛庁長官当時の久間章生。[[日本]]で最後の防衛庁長官であり、なおかつ、初代の[[防衛大臣]]も務めた]]
* [[1959年]]3月 [[長崎県立口加高等学校]]卒業。
* [[1964年]]3月 [[東京大学]][[大学院法学政治学研究科・法学部|東京大学法学部]][[政治]]コース卒業。
* [[1964年]]4月 [[農林水産省|農林省]]入省。
* [[1970年]] 農林省退官。
* 1970年 長崎県庁入庁。
* [[1971年]]4月 長崎県議会議員に当選。以後3期9年間を勤める。
* [[1980年]]5月 長崎1区より[[第36回衆議院議員総選挙]]に出馬し、初当選。
* [[1987年]]11月 [[運輸省|運輸]][[政務次官]]に就任。
* [[1994年]]1月 自民党国会対策副委員長に就任。
* [[1996年]]1月 自民党副幹事長に就任。
* [[1996年]]11月 第2次橋本内閣防衛庁長官に就任。
* [[2003年]]9月 自民党[[自由民主党幹事長|幹事長]]代理に就任。
* [[2004年]]9月 自民党[[自由民主党総務会#総務会長|総務会長]]に就任。
* [[2005年]]10月 自民党総務会長に留任。
* [[2006年]]9月 第1次安倍内閣防衛庁長官に就任(2回目の就任)。
* [[2007年]]1月 [[防衛省]]発足に伴い、初代[[防衛大臣]]に就任。
* [[2007年]]7月 防衛大臣を辞任。
* [[2009年]]8月 [[第45回衆議院議員総選挙]]に出馬し、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]公認の新人[[福田衣里子]]に敗れ、[[比例復活]]もならず落選。
* [[2012年]]12月 [[第46回衆議院議員総選挙]]には出馬せず、翌年政界引退を正式表明。
* [[2013年]]4月 [[旭日大綬章]]を受章。
 
== 趣味 ==
[[画像:防衛省・アルミ合金製看板.jpg|thumb|200px|久間の[[揮毫]]を基にした[[防衛省]]の銘板]]
* 保有する[[段級位制|段位]]は[[剣道]]六段、[[将棋]]六段、[[囲碁]]五段。
 
== 関係する団体 ==
* [[日韓議員連盟]](副会長)
* [[日韓トンネル研究会]](顧問)
* [[パチンコチェーンストア協会]] (政治分野アドバイザー)<ref>{{cite web
|url = http://www.pcsa.jp/member.htm
|title = 「パチンコ・チェーンストア協会」(PCSA)(PCSA) 理事・会員リスト
|accessdate = 2007-7-23
}}</ref>
* 社団法人[[日米平和・文化交流協会]] (後述)理事
* 新日本電池開発(顧問)
* [[技術研究組合]]農畜産工業雇用推進機構(顧問)<ref>{{cite web
|url = http://www.asieep.or.jp/about/member.html
|title = 農畜産工業雇用推進機構・役員構成
|accessdate = 2012-6-15
}}</ref>
* [[例外的に夫婦の別姓を実現させる会]]
* [[日本会議国会議員懇談会]]
* [[神道政治連盟国会議員懇談会]]
 
== 政治姿勢 ==
184 ⟶ 186行目:
|url = http://www.kamiura.com/new2_2k7.html
|title = J-rcom 日本軍事情報センター:「読売記者に機密漏洩」の節
|accessdate = 2007-7-23
}}</ref>。
 
一方で、「既に明らかになりブッシュ大統領も認めているが、開戦の大義であった大量破壊兵器はイラクには存在しなかった。(それなのにイラク戦争を批判したところで)そのことで米側から抗議を受けるものだとはとても思えない」などの反論もある<ref>沖縄タイムス社説 2007.1.29日付朝刊</ref>。自民党内では、[[加藤紘一]]が久間を擁護し、「なぜ批判を受けなければならないのか。(イラク戦争開戦の誤りは)世界の常識だ」と政府側に詰め寄ったという<ref>久間防衛相:普天間巡る「反米的発言」が波紋広げる(『毎日新聞』 2007年2月1日付)</ref>。
191 ⟶ 194行目:
イラク戦争については[[アメリカ合衆国|米国]]を批判したが、他方[[在日米軍]]については、米国に協力的であった。しかし2007年に入り、「アメリカは沖縄の人々の気持ちを理解してくれていない」と米国の意に反する発言をしたため、来日した[[ディック・チェイニー|チェイニー]][[アメリカ合衆国副大統領|副大統領]]との会談を拒否される事態となった。チェイニーは[[自衛隊]]の最高責任者である久間を無視して、[[自衛官]](制服組)トップの[[齋藤隆]][[統合幕僚長]]を始めとする自衛官幹部と会談した。
 
2006年10月、[[沖縄県]]の[[アメリカ軍|米軍]][[嘉手納飛行場|嘉手納基地]]に、米軍が[[パトリオットミサイル|パトリオット]][[地対空ミサイル]]システム(PAC (PAC-3)3) 配備を強行した。久間は[[11月7日]]の衆議院安全保障委員会の答弁で「今[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]が[[ミサイル]]の実験をやった、[[核実験]]をやった、そういう中で、パトリオットをせめて沖縄に配備しておかなければいかぬ(中略)我々としては素直に、これは、日本の防衛の中で手薄である沖縄については、せめて嘉手納を、自分の基地があるわけだから、そこについてはアメリカが責任を持って防御しましょうということでまずやってくれたということは、私は歓迎すべきことじゃないかなと思う」と述べた。沖縄では基地機能の強化・新たな負担増・格好の軍事標的にされるなどの理由で反対が強く、久間の発言は反発を受けた。
 
[[11月19日]]投開票された沖縄県知事選では、[[与党]]推薦の[[仲井眞弘多]]が米軍[[普天間飛行場|普天間基地]]の県内移設に反対する[[糸数慶子]]を破り当選した。[[共同通信社|共同通信]]によると、久間は[[11月23日]]、[[長崎市]]内で開かれた自民党議員らの会合で、もしも糸数が当選していた場合、「[[法律]]を作ってでも、一方的に県知事の(公有水面の)使用権限を国に移してでも、やらなければいけないと考えていた。もし負けたら、力尽くでもこっちはやるんだという腹を持っていた」と述べた。基地移設には[[埋立地|埋め立て]]が必要で、そのためには[[公有水面埋立法]]に基づき知事の許可が必要である。移設反対派が勝った場合、強硬手段によって(『[[読売新聞]]』[[11月24日]]号によると、[[特別措置法]]を制定し、知事の許認可権を政府に移す予定であった)ことを進める方針だったのである。
199 ⟶ 202行目:
|title = 第166回国会 衆議院 安全保障委員会 2号(平成19年(2007年)2月22日)
|date = 2007-2-22
|accessdate = 2007-7-23
|accessdate = 2007年7月23日}}</ref>。[[塩崎恭久]][[内閣官房長官]]はこの発言について「問題があれば注意する」と述べた。米国側は「当方も[[アメリカ海兵隊|海兵隊]]を説得するのが大変だった。話し合って合意した政府間の取り決めは守ってくれねば困る」と不快感を表明している。
 
元[[外交官]]で、政府批判を行う[[作家]]としても知られる[[天木直人]]は、久間の頭越しに自衛官幹部との接触を表明したチェイニー及び米国の対応は[[文民統制|シビリアンコントロール]]に反しており、[[外務省]]はこのような日程を断じて認めてはならないと自身の[[ブログ]]で批判した<ref>{{cite web|url=http://www.amakiblog.com/archives/2007/02/18|title=チェイニー副大統領の訪日報道から目を話してはならない」(天木直人のブログ)|date=2007-2-18 |accessdate=2007年7月23日 }}</ref>。しかし、訪日したチェイニーは、当初の予定通り自衛官幹部のみと懇談した。
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2007年11月15日、防衛官僚の収賄疑惑にかかる参議院[[証人喚問]]において、前[[防衛事務次官]]の[[守屋武昌]]から、自衛隊次期輸送機エンジン納入を巡って、[[山田洋行]]元専務からの[[高級料亭]]接待の席に久間と元防衛庁長官の[[額賀福志郎]]が同席していたとの[[証言]]があった([[山田洋行事件]])。{{要出典|date=2016年5月}}
;ダイヤモンド返還訴訟
2014年1月29日、[[東京地方裁判所]]は「久間が知人女性から預かっていた[[ダイヤモンド]]を、未だ返還していない」として購入価格とほぼ同等の3700万円を女性に支払うよう命じた。[[判決]]によれば、この知人女性は平成18年9月末ごろに[[東京]]・[[永田町]]の久間事務所に於いて、3800万円で購入していた約20カラットのダイヤを1つ久間に預けたとしている。これに対し久間は、「ダイヤの預かり証なども存在しておらず、ダイヤを預かったのは自分ではなく女性から仲介を依頼されて売却先として紹介した男性だ」と反論していた<ref>「久間元防衛相に3700万円賠償命令 ダイヤモンド返還訴訟」産経ニュース2014.1.29 21:40  url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140129/trl14012921420006-n1.htm </ref>
 
== 政治資金 ==
217 ⟶ 221行目:
|format = Windows Media
|medium = ストリーミング
|year = 2007
|accessdate = 2007-7-23
|accessdate = 2007年7月23日}}</ref><ref>「補助金受けた法人首相ら4人に献金」『[[日本経済新聞]]』[[日本経済新聞社]]、2007年3月8日、43面。</ref><ref>「自民支部に違法献金か共産指摘安倍・久間氏ら代表」『[[朝日新聞]]』43428号、[[朝日新聞社]][[東京]]本社、2007年3月8日、39面。</ref>。
 
日本共産党・[[厚生労働省]]・[[政治資金収支報告書]]などによると、久間が代表の自由民主党長崎県第二選挙区支部は、2004年11月に8500万円超の[[補助金]]交付決定を受けた[[医療法人]]から、[[2004年]]11月〜[[2005年]]10月に[[政治献金]]を受け取っていた。[[政治資金規正法]]第22条の3には「国から補助金(中略)を受けた会社その他の法人は、当該給付金の交付の決定の通知を受けた日から同日後一年を経過する日(中略)までの間、政治活動に関する[[寄附]]をしてはならない」との規定があり、上記献金がこの規定に違反すると指摘されている。
225 ⟶ 230行目:
 
== 支援団体 ==
2014年8月2日、久間が代表を務める[[NPO]]法人「東日本大震災原子力災害等被災者支援協会」が[[東京電力]][[福島第一原発]]事故の[[賠償金]]支払い制度を利用し、[[風評被害]]を受けたとの偽証を行い賠償金を詐取したとして、同法人の元幹部らが[[逮捕]]された([[東京電力賠償金詐取事件]])。[[組織犯罪対策部#警視庁組織犯罪対策部|警視庁組織犯罪対策3課]]によると、同NPO法人の元幹部4人は2012年4~5月にかけ、[[被疑者|容疑者]]の一人が役員を務める郡山市内の会社が原発事故により[[人材派遣]]業の売り上げを減少させたとする虚偽の申請を行って、東電に[[損害賠償]]を請求し約1200万円をだまし取ったとしている<ref>「久間氏代表の団体、東電賠償巡り詐取容疑 元幹部ら逮捕」朝日デジタル2014.8.2 14:00  url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140802-00000023-asahi-soci </ref>
 
== 発言 ==
;「私でも沖縄を真っ先に占領」発言
2006年12月7日の[[参議院]][[外交防衛委員会]]で、「私はやっぱり、あそこ(沖縄)は拠点として真っ先に占領したと思う」と述べた。自らが[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の立場になったと仮定した上で[[太平洋]]の要石と呼ばれるほど[[地政学]]的重要的位置づけである沖縄基地の重要性を指摘した発言であったが、元[[ひめゆり学徒隊]]の沖縄県民らは「他人事のような発言。[[沖縄戦]]でかつて捨て石にされた沖縄が、また切り捨てられたようだ」と反発した<ref>『[[沖縄タイムス]]』 2006年12月8日</ref>。
 
;長崎市長射殺事件に関連しての発言
[[2007年]][[4月17日]]に発生した[[長崎市長射殺事件]]に際し、[[心肺停止|心肺停止状態]]であった[[伊藤一長]][[市町村長|市長]]について「万が一のことも考えないといけない」と発言。「投票日3日前を過ぎたら補充がきかず、[[日本共産党|共産党]]と一騎打ちだと共産党([[推薦]])の候補者が当選することになる。法律はそういうことを想定していない」と[[公職選挙法]]における[[補充立候補]]の不備を指摘した<ref name = "asahi0417">{{Cite news
256 ⟶ 260行目:
|accessdate = 2010-10-26
|language =
}}</ref>。
}}
</ref>。
 
===「原爆しょうがない」発言===
[[2007年]][[6月30日]]に行われた講演会で行い、被爆者団体などが猛反発し、久間が当時務めていた防衛大臣の座を追われた発言。
{{Quotation|日本が戦後、ドイツのように東西が壁で仕切られずに済んだのは、ソ連の侵略がなかったからだ。米国は戦争に勝つと分かっていた。ところが日本がなかなかしぶとい。しぶといとソ連も出てくる可能性がある。ソ連とベルリンを分けたみたいになりかねない、ということから、日本が負けると分かっているのに、あえて原爆を広島と長崎に落とした。8月9日に長崎に落とした。長崎に落とせば日本も降参するだろう、そうしたらソ連の参戦を止められるということだった。 幸いに(戦争が)8月15日に終わったから、北海道は占領されずに済んだが、間違えば北海道までソ連に取られてしまう。その当時の日本は取られても何もする方法もないわけですから、私はその点は、原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、という風に思っている。米国を恨むつもりはないが、勝ち戦ということが分かっていながら、原爆まで使う必要があったのか、という思いは今でもしている。国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうことも選択肢としてはありうるのかな。そういうことも我々は十分、頭に入れながら考えなくてはいけないと思った。|}}
 
[[2007年]][[6月30日]]、[[麗澤大学]]比較文明文化研究センター([[千葉県]][[柏市]])主催の講演会で、アメリカの[[原子爆弾|原爆]]投下の意図について、日本を降伏させ、[[ソビエト連邦|ソ連]]の参戦を食い止める為との見解を示した。その上で、「原爆を落とされて[[長崎市|長崎]]は無数の人が悲惨な目にあったが、あれで[[戦争]]が終わったのだ、という頭の整理で今、しょうがないなと思っている」「国際情勢や戦後の[[占領]]を考えると、そういうことも選択肢としては、戦争になった場合はあり得るのかなと」と述べた<ref name =kenkai>{{cite web
|url = http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kiji/07/0101.html
|title = 久間氏「原爆投下しょうがない」 ソ連参戦阻止と見解
|date = 2007-7-1
|accessdate = 2009-12-30
|accessdate = 2009年12月30日}}</ref>。一方、「勝ち戦と分かっている時に原爆を使う必要があったのかどうか、という思いは今でもしている」として、原爆投下への遺憾の意も改めて示している。
 
久間は[[7月1日]]のフジテレビ「[[報道2001]]」で、「原爆しょうがない」発言に対する批判や責任を問う声について、「そんなような内容(の発言)ではない」、「訂正する必要はない。誤解を与えたところがあれば、そこは丁寧に説明しなければいけない」と述べて、強気の姿勢を貫き、撤回・訂正はしない考えを明らかにしていたが、その後[[中川秀直]][[自由民主党幹事長|幹事長]]や[[公明党]]からも批判を受けたため、同日の[[記者会見]]で「被爆者を軽く見ているかのような印象に取られたとすれば申し訳なかった」と陳謝して発言を事実上撤回<ref name = simabara>{{cite web
273 ⟶ 276行目:
|title = 原爆投下「しょうがない」発言 久間氏が陳謝、撤回
|date = 2007-7-2
|accessdate = 2009-12-30
}}</ref>し、かつ、毎年[[8月9日]]に行われる長崎の平和記念式典に参列する意向を示していた<ref name =simabara>< /ref>。
 
ところが、原爆投下の[[歴史認識]]を巡る発言に関して、首相の[[安倍晋三]]から厳重注意を受けた。当初、安倍の意向から辞任はしないとしていたが、[[被爆者]]団体、反核平和団体などからの激しい抗議を受けて、結果的に7月3日、防衛大臣の座を辞職という形で追われることになり、毎年参加していた8月の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典を欠席せざるを得ない状況へ追い込まれた。
281 ⟶ 285行目:
|title = 広島市/久間防衛大臣の発言に対するコメント(2007.6.30)
|date = 2007-6-30
|accessdate = 2011-8-6
}}</ref>。
 
長崎市では[[7月2日]]、[[市町村議会|市議会]]が久間の発言に抗議する意見書を自民党会派も含め全会一致の賛成で可決した上で<ref>{{cite web
287 ⟶ 292行目:
|title = 「発言撤回」で着地 長崎市議会が意見書可決
|date = 2007-7-3
|accessdate = 2009-12-30
|accessdate = 2009年12月30日}}</ref>、[[田上富久]]市長は、市議会の議長とともに[[7月3日]]に上京し、安倍首相と久間サイドへ抗議した([http://toyoichi.blog.so-net.ne.jp/2007-07-04 参考])<ref>{{cite web
|url = http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kiji/07/0402.html
|title = 「田上市長ら直接抗議 久間氏「迷惑掛けた」
|date = 2007-7-3
|accessdate = 2009-12-30日 }}</ref>。
}}</ref>。その翌日には、[[長崎県議会]]でも発言に対する抗議決議が全会一致で可決<ref name= pref>{{cite web
|url = http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kiji/07/0403.html
|title = 県議会も抗議決議|date=2007-7-4
|accessdate = 2012-8-28
|accessdate = 2012年8月28日}}</ref>され、[[金子原二郎]][[長崎県知事一覧|長崎県知事]]も「二度とこのような発言を繰り返さないようにしてほしい」と釘を刺した<ref name= pref>< /ref>
 
また、[[日本原水爆被害者団体協議会]]<ref>{{cite web
|url = http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kiji/07/0104.html
|title = 「あまりに非常識」原水協被団協 久間氏原爆容認発言
|date = 2007-7-1
|accessdate = 2009-12-30
}}</ref> や[[日本労働組合総連合会|連合]]長崎<ref>{{cite web
|url = http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kiji/07/0105.html
|title = 連合長崎なども抗議
|date = 2007-7-1
|accessdate = 2009-12-30
}}</ref>、それに長崎県[[原水爆禁止日本国民会議|原水禁]]<ref name= faxkougi>{{cite web
|url = http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kiji/07/0204.html
|title = 「被爆者ないがしろに」原水禁
|date = 2007-7-2
|accessdate = 2009-12-30
}}</ref>などもそれぞれ久間発言を批判<ref>{{cite web
|url = http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kiji/07/0103.html
|title = 「無意味で犯罪的」と大江氏 久間氏原爆容認発言
|date = 2007-7-1
|accessdate = 2009-12-30
}}</ref>して、抗議の意を表明するため長崎市の[[平和公園]]<ref>{{cite web
|url = http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kiji/07/0302.html
|title = 被爆者ら抗議の座り込み 久間氏発言、批判さらに広がる
|date = 2007-7-3
|accessdate = 2009-12-30
}}</ref>での座り込みや、抗議文<ref name= faxkougi>< /ref>あるいは声明文<ref>{{cite web
|url = http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kiji/07/0304.html
|title = 共産党県委など辞任求める声明
|date = 2007-7-3
|accessdate = 2012-8-28
|accessdate = 2012年8月28日}}</ref>の送付<!--次に挙げる記事と記述は、事実関係を混同する恐れがあるためコメントアウトします。--><!--(久間へは、毎年[[8月9日]]に行われる平和記念式典への参列の取りやめと、議員辞職、安倍首相に対して、久間の防衛大臣の[[罷免]]を求めていた<ref>{{cite web
|url = http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kiji/07/0203.html
|title = 県内被爆者5団体が抗議文 8月9日の平和祈念式典「出席許さぬ」
|date = 2007-7-2
|accessdate = 2009-12-30
|accessdate = 2009年12月30日}}</ref>)--><!--この点については、長崎市が主催者なので、被爆者団体の行動は主催者気取りとの指摘がある。-->を行うなどの抗議活動を繰り広げた。
 
一方、[[本島等]]元長崎市長は、[[1975年]]10月に[[昭和天皇]]が広島への原爆投下について「遺憾に思っているが、やむを得なかった」と久間の発言に近い事を述べたのを紹介し、「当然の認識で僕も同感。久間さんの発言も同じで、原爆の肯定だ、容認だと批判するのはおかしい。[[天皇]]陛下も原爆容認論だと批判するのか」と抗議活動を展開する被爆者団体に苦言を呈した。{{いつ|date=2009年12月}}<!--必要な記述ですが、いつそのように話したのか、ソースが必要です。-->但し、本島の「仕方なかった」というのは、残虐な侵略行為をした[[日本人]]が相応の報いを受けた罰である、という意味での「仕方ない」であり、久間や昭和天皇の意図とは微妙に違う。[[産経新聞]]は、本島等元長崎市長の発言にみられるような原爆は仕方なかったという考えの原点は、[[原爆死没者慰霊碑]]の碑文にあるとして、これをありがたがる人たちに、久間の発言を非難する資格はないと断じた<ref>2007年7月2日付 産経抄(産経新聞)</ref>。なお、産経新聞は、広島市長平和宣言の内容を毎年批判している([[産経新聞の報道#議論を呼んだ報道]]を参照)。<!--この点に関しては、[http://www.iax.co.jp/subscriptions/impressions_61.html iAX社の「中国通信情報」編集長所感の「久間発言と原爆投下問題」]の後半部分に記されています。-->
 
[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]<ref name =kenkai>< /ref>・[[日本共産党]]<ref name =kenkai>< /ref>・[[国民新党]]<ref name =kenkai>< /ref>は久間の発言を一斉に批判した。
 
7月3日午前、久間は自身の進退について「辞任の必要はない」と強気の姿勢を見せていたが、午後、一転して「選挙で[[与党]]に迷惑が掛かる」として辞任した<ref>{{cite web
|url = http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kiji/07/0405.html
|title = 無念のぞかせ釈明 久間防衛相辞任
|date = 2007-7-4
|accessdate = 2012-8-28
}}</ref><ref name =inseki>{{cite web
|url = http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kiji/07/0401.html
|title = 久間防衛相が辞任 原爆「しょうがない」発言で引責
|date = 2007-7-4
|accessdate = 2012-8-28
}}</ref>安倍は慰留せず<ref name =inseki>< /ref>、その場で辞任の申し出を了承した。
 
久間は辞任後の[[記者会見]]でも、「原爆が日本を全面降伏に導いたのは事実」との主張を続け<!--終戦直後の政府首脳も同様の発言をしている[http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3192380.html 「アメリカの原爆投下は仕方なかった」と言ってる日本人の専門家を教えてく... - 教えて!gooのNo.1の回答を参照]-->、「[[九州方言|九州弁]]でしょうがないというのが口癖で、すぐに出るんですよ」と釈明したが、方言研究をしている九州の大学教授や[[島根大学]]の田籠博教授は、[[九州]]の[[方言]]として多用するのは聞いたことがないと疑問視、長崎市平和推進室は同じく疑問視した上でこの釈明を認めていない<ref>{{cite web
|url = http://www.j-cast.com/2007/07/04008973.html
|title = 「しょうがない」は「九州弁」 久間氏のトンデモ弁明(J-CASTニュース)
|date = 2007-7-4
|accessdate = 2007-7-23
}}</ref>。また、広島市長の秋葉忠利や、長崎原爆被災者協議会の事務局長<!--個人名は記事を参照のこと-->はそれぞれ、久間が防衛大臣の辞任は当然のこととした上で、[[日本政府]]や自民党の原爆に対する認識や姿勢の問題<ref name =kaiken>{{cite web
|url = http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1183524029196/
|title = 2007年7月3日記者会見「久間防衛大臣の発言に関して」
|date = 2007-7-3
|accessdate=2011年8月7日 }}</ref><ref name =jimukyoku>{{cite web|url=http://www.nagasaki2011-np.co.jp/peace/2007/kiji/07/0407.html|title=「当然」「選挙対策だ」 被爆地の怒り収まらず|date=20078-7-4 |accessdate=2009年12月30日 }}</ref>と批判し、さらに、久間の[[歴史認識]]に疑問を呈している者<ref name =jimukyoku></ref>もいる。
}}</ref><ref name =jimukyoku>{{cite web
|url = http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kiji/07/0407.html
|title = 「当然」「選挙対策だ」 被爆地の怒り収まらず
|date = 2007-87-34
|accessdate = 2009-12-30
日 }}</ref>と批判し、さらに、久間の[[歴史認識]]に疑問を呈している者<ref name =jimukyoku />もいる。
 
この辞任について、当然であるとする意見<ref name =jimukyoku>< /ref><ref name =munen>{{cite web
|url = http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kiji/07/0407.html
|title = 無念のぞかせ釈明 久間防衛相辞任
|date = 2007-7-4
|accessdate = 2012-8-28
|accessdate=2012年8月28日}}</ref>や、選挙対策であるとする意見<ref name =jimukyoku>< /ref><ref name =munen>< /ref>がある一方で、残念がる意見<ref name =munen>< /ref>もあった。
 
大臣の座を追われた後も、久間に対して議員辞職を求める抗議活動<ref>{{cite web
|url = http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kiji/07/0603.html
|title = 久間氏は議員辞職を 長崎県原水協が抗議デモ
|date = 2007-7-6
|accessdate = 2009-12-30
}}</ref> は続き、議員辞職を求める文言とともに公開質問状が被爆者団体から送付される<ref>{{cite web
|url = http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kiji/07/1101.html
|title = 久間氏に公開質問状 原爆発言で被爆者5団体
|date = 2007-7-11
|accessdate = 2009-12-30日 }}</ref><ref>質問状に対して、[http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kiji/08/0302.html 回答] をしたものの被爆者団体は納得していない。(出典:{{cite web
|url=}}</ref><ref>質問状に対して、[http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kiji/08/03010302.html 回答] をしたものの被爆者団体は納得していない。(出典:{{cite web
|url = http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kiji/08/0301.html
|title = 久間氏が「しょうがない」発言質問に回答 被爆者団体「憤り」
|date=2007-8-3
|date = 2007-8-3
|accessdate=2012年8月28日}})</ref>など対応に追われた。
|accessdate = 2012-8-28
|accessdate=2012年8月28日}})</ref>など対応に追われた。
 
この騒動の直後に行われた[[第21回参議院議員通常選挙]](長崎県選挙区)では、自民党は久間が主導となり、[[長崎県立国見高等学校|国見高校]]サッカー部元監督として有名な[[小嶺忠敏]]を擁立して必勝を期したが、民主党の[[大久保潔重]]に敗れた。
 
また、文藝春秋平成21年6月18日号では、久間にとっては義母に当たる妻の母が一連の久間発言に抗議するため、8月9日の長崎原爆祈念日に自殺した<ref>{{cite web
|url = http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/shukanbunshun090618.htm
|title = 久間元防衛相義母は原爆記念日に死を選んだ
|date = 2009-6-18
|accessdate = 2014-8-2
}}</ref>と報じられている。
 
==== 歴史認識に対する評価 ====
久間の原爆投下に関する[[歴史認識]]に関して、[[秦郁彦]]・[[日本大学]]講師(現代史)が「米国の原爆投下がソ連の参戦を食い止めるためだった側面があるとの指摘は、歴史的事実とは違う。ソ連は長崎への原爆投下と同じ日に参戦しているし、終戦後も北海道を占領しようとして米国に拒否された。何かの思い違いがあるのでは」と指摘している<ref name=dailysports070701>{{cite web
|url = http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kiji/07/0102.html
|title = 「論外」「許されない」 久間氏原爆容認発言で被爆地に怒りと失望
|date = 2007-7-1
|accessdate = 2012-8-28
|accessdate=2012年8月28日}}<!--左記は参照できるリンクである。--><!--{{cite web|url=http://www.daily.co.jp/gossip/2007/06/30/0000428913.shtml|title=久間防衛相「原爆投下しょうがない」(DailySpotts online) |accessdate=2007年7月23日 }}{{リンク切れ|date=2009年12月}}--></ref>(参考:[[ヤルタ会談]])。
}}<!--左記は参照できるリンクである。--><!--{{cite web
|url = http://www.daily.co.jp/gossip/2007/06/30/0000428913.shtml
|title = 久間防衛相「原爆投下しょうがない」(DailySpotts online)
|accessdate = 2007-7-23
}}{{リンク切れ|date=2009年12月}}--></ref>(参考:[[ヤルタ会談]])。
 
元[[長崎大学]]学長の[[土山秀夫]]は、久間の発言について、極めて不見識であり論外であると非難した上で、久間の[[イラク戦争]]に対する批判を引き合いに出して、「アメリカへのポイント稼ぎ」と皮肉ったコメントをしている<ref name=dailysports070701>< /ref>。
 
現代史家の[[保阪正康]]は、原爆の投下と終戦に関連性はなく、久間の発言は、アメリカの原爆投下正当化論と一体化しつつ、そこに史実無視の姿勢をつけ加えたものであると批判している。保阪は、日本[[国民]]は、「投下された側の反論」として、当時の日本の軍事指導層を中心とする抗戦派を強く批判しつつ、投下した側の一方的解釈を徹底して排除すべきだと主張している<ref>{{cite web
|url = http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kikaku/03/01.html
|title = 長崎新聞 寄稿 原爆は戦争を終わらせたか <上>
|date = 2007-8-3
|accessdate = 2010-5-4
}}</ref>。<!--
原爆投下の意義については[http://en.wikipedia.org/wiki/Atomic_bombings_of_Hiroshima_and_Nagasaki#Debate_over_bombings 両論]ある。
 
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== 家族 ==
* 妻と二男二女
 
== 脚注 ==
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== 関連人物 ==
* [[小嶺忠敏]]:[[サッカー]]指導者。同郷である久間の推薦により、2007年夏の[[第21回参議院議員通常選挙|参院選]]に出馬するも落選。
* [[昭和天皇]]:第二次世界大戦の[[日本軍]][[大元帥]]。1975年10月31日に「原爆は止むを得ない」と発言。
 
== 外部リンク ==
* [http://www.kantei.go.jp/jp/daijinmeibo/9709kakuryo/17kyuumahumio.html 久間章生 経歴]
* [http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2007/0118a.html 「防衛省」の文字を揮毫する久間大臣(安倍内閣メールマガジン)]
 
{{start box}}
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{{succession box
|title = {{Flagicon|日本}} [[防衛大臣|防衛庁長官]]
|before = [[臼井日出男]]<br/>[[額賀福志郎]]
|years = 第59代:1996年 - 1998年<br/>第73代:2006年 - 2007年
|after = [[額賀福志郎]]<br/>防衛省へ移行
}}
{{s-ppo}}