「ネズミ」の版間の差分

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[[弥生時代]]にもネズミが存在した痕跡が見られる<ref>植月(2015)、p.15</ref>。[[1947年]](昭和22年)に[[静岡県]][[静岡市]]に所在する[[登呂遺跡]]における[[発掘調査]]により出土した楕円形・蓋状の[[木製品]]は、その後の類似した木製品の出土事例の増加により、食料貯蔵庫である[[高床倉庫]]の[[柱]]に設置する[[ネズミ返し]]であるとする説が提唱された<ref>植月(2015)、p.15</ref>。高床倉庫のネズミ返しは取り付け位置・ネズミの種類から[[クマネズミ属]]の[[クマネズミ]]・[[ドブネズミ]]には通用せず[[ハタネズミ]]を対象としたものであり、クマネズミ属は弥生時代には渡来していなかったとする説もある<ref>植月(2015)、p.16</ref>。
 
一方で、[[奈良県]][[磯城郡]][[田原本町]]唐古に所在する[[唐古・鍵遺跡]]では弥生時代のドブネズミが出土している<ref>植月(2015)、p.15</ref>。また、唐古・鍵から出土した壺形土器には4本の掻き傷が見られ、大きさ・本数からネズミの[[爪]]跡であると考えられている<ref>植月(2015)、p.15</ref>。ドブネズミは[[東南アジア]]を起源とするクマネズミ属であり、世界中に進出している<ref>植月(2015)、p.16</ref>。一般に[[集落]]の形成期にはハタネズミ・[[アカネズミ]]などの野ネズミが多く出土し、集落の成長に伴い人家の周辺に生息するドブネズミが出現し、さらに集落が衰退すると再び野ネズミが増加するという<ref>植月(2015)、p.15</ref>。唐古・鍵遺跡における出土事例から、弥生時代には稲作農耕の開始に伴い渡来したとする説がある<ref>植月(2015)、p.16</ref>。従来、日本列島へのネズミの渡来は[[飛鳥時代]]に[[遣唐使]]の往来に伴い渡来したとする説や江戸時代に至って渡来したとする説もあったが、唐古・鍵遺跡の事例により、これを遡って弥生時代には渡来していたと考えられている<ref>植月(2015)、p.16</ref>。
 
[[石川県]][[金沢市]]に所在する[[畝田ナベタ遺跡]]から出土した[[平安時代]](9世紀)の木簡にはネズミ歯形が認められてる<ref>植月(2015)、p.16</ref>。この木簡は籾の付札で、酷倉庫を棲家とするネズミが存在していたと考えられている<ref>植月(2015)、pp.16 - 17</ref>。平安時代には[[宇多天皇]]日記『[[寛平御記]]』など文献資料において[[ネコ]]の[[飼育]]に関する記録が見られ、[[仏典]]などを守るためネズミの天敵であるネコが導入されたとする説もある<ref>植月(2015)、p.17</ref>。