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'''バグダードの戦い'''(英:{{lang|en|Battle of Baghdad}} {{lang|ar|سقوط بغداد}})、あるいは「'''バグダッド包囲戦'''」(英:{{lang|en|Siege of Baghdad}})は、[[1258年]]に[[チンギス・カン|チンギス・ハーン]]の孫にあたる[[フレグ]]率いる[[モンゴル帝国]]と当時世界で最も栄華を誇っていたと言われるイスラム帝国[[アッバース朝]]との間に起こった[[包囲戦]]である。<!-- モンゴル軍によって攻略された[[バグダード]]は徹底的に破壊され、市内に存在していた[[知恵の館]]や数々の[[図書館]]に収蔵されていた何十万冊もの大量の[[学術書]]はモンゴル軍によって燃やされるか、または、川に捨てられた。これによって[[メソポタミア文明]]ならびに[[イスラム文明]]が築いた多くの[[文化遺産]]が地上から消失した。[[ムハンマド]]によるイスラム開教(610年)から連綿と続いていた「[[カリフ]]」の系統も殺されて途絶え、市民は皆殺しにされ、その後数世紀間にわたって当地は無人の廃墟となった。(特に後段で明らかな虚偽情報が含まれているためコメントアウト化)-->
 
==背景==