「ユーゴスラビア人民解放戦争」の版間の差分

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ユーゴスラビア政府は、戦争による死者数を1,704,000人と推計し、1946年に国際賠償委員会({{lang|en|International Reparations Commission}})に詳細な文書を伴わない概要を報告した<ref>[[#refMacDonald2002|MacDonald 2002]], p. 161.</ref>。報告では、戦争に関連する死者数の他、出生数の現象減少や人口流出、感染症による死者などを考慮に入れた、戦争がなかった場合の推定人口にも言及している<ref name="ReferenceA">[[#refCohen1996|Cohen 1996]], p. 108.</ref>。同じ概要は1948年の連合国賠償委員会にも報告されたが、この時は戦争に関する死者数のみであった<ref name="ReferenceA"/>。ドイツが検証可能なデータを求めると、ユーゴスラビア連邦統計局は1964年に全国的な調査をまとめた<ref name="ReferenceA"/>。この調査結果によると、戦争に関連する死者数は597,323人とされた<ref name="ReferenceA"/>。調査結果は1989年に初めて公表され、それまでは秘密とされていた<ref name=cic/>。
 
アメリカ合衆国国勢調査局が1954年に刊行した報告書によると、ユーゴスラビアの戦争に関する死者数は1,067,000人程度とされた。国勢調査局は、ユーゴスラビア政府が発表した170万人という死者数は終戦直後に出され、戦後の国勢調査などを経ずに算出された数字であり、過大なものとなっていると結論づけた<ref>U.S. Bureau of the Census ''The Population of Yugoslavia'' Ed. Paul F. Meyers and Arthur A. Campbell , Washington D.C.- 1954</ref>。その後の{{仮リンク|ヴラディミル・ジェリャヴィッチ|en|Vladimir Žerjavić}}の推計では戦争に関する死者数は1,027,000人であり、[[パルチザン (ユーゴスラビア)|パルティザン]]兵士の死者数が237,000人、[[クロアチア独立国軍|クロアチア郷土防衛隊]]やウスタシャの兵士の死者数が209,000人であったとしている。市民の死者数は581,000人で、この中に57,000人の[[ユダヤ人]]を含む。戦後ユーゴスラビアの構成地域ごとでは、ボスニア・ヘルツェゴビナが316,000人、セルビアが273,000人、クロアチアが271,000人、スロベニアが33,000人、モンテネグロが27,000人、マケドニアが17,000人、ユーゴスラビア国外が80,000人となっている<ref name=cic/>。ボスニアに住むセルビア人・{{仮リンク|ボゴリュブ・コチョヴィッチ|en|Bogoljub Kočović}}の推計によると、戦争による死者数は1,014,000人とされた<ref name=cic/>。[[サンフランシスコ州立大学]]名誉教授の{{仮リンク|ヨゾ・トマシェヴィッチ|en|Jozo Tomasevich}}によると、コチョヴィッチやジェリャヴィッチの推計は「バイアスがかかっておらず、信頼出来るものとして受け入れられる」と評価している<ref>Tomasevich, 2001, p. 737</ref>。