「エドマンド・バーク」の版間の差分
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→バーク哲学の継承: 何言ってんの? |
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フランスにおいては、初のバーク主義者は[[アレクシ・ド・トクヴィル|トクヴィル]]であり、その主著『アメリカのデモクラシー』(1835年 - 1840年)の主概念「多数者の専制」は、バークの概念を借用しているし、「平等」が国家社会をアナーキーに解体していき、反転して全体主義体制に至るとのトックヴィルのモチーフは『フランス革命の省察』そのものである。{{要出典|だが、フランスでは反バーク的なルソーの影響はまだまだ絶大で、[[フリードリヒ・ニーチェ|ニーチェ]]や[[マルティン・ハイデッガー|ハイデガー]]や[[ジークムント・フロイト|フロイト]]などとこのルソーを混淆して、1968年頃には[[ミシェル・フーコー|フーコー]]らの[[ポストモダン]]思想を構築している。|date=2014年8月}}
バーク哲学が事実上まったく導入運用されなかったのは、ドイツとロシアである。ドイツでは{{要出典|ルソー直系の[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]
== 著作 ==
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