「ハインリヒ・ミュラー」の版間の差分

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[[ポーランド]]の対軍諜報員{{仮リンク|ミハウ・ゴレニフスキー|pl|Michał Goleniewski}}が西側に亡命したことで、CIAは刺激され、ミュラーの調査を再開した。ゴレニフスキーは[[1948年]]から[[1952年]]まで捕らえられたドイツ人公務員を尋問する職にあった。彼は、ミュラーと会ったわけではないが、[[1950年]]から1952年の間にソ連がミュラーを捕え、[[モスクワ]]に連れて行ったという情報を、ソ連の上級監督者から耳にした。CIAは、ゴレニフスキーとミュラーを統括していたとされる人物を特定しようとしたが果たせず、結局この情報は単なる噂にすぎなかったと結論した。[[1965年]]に発刊された[[ハンナ・アーレント]]の『[[イエルサレムのアイヒマン|イェルサレムのアイヒマン]]』では、「ミュラーは[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]に、ついで[[アルバニア]]に雇われた」という噂を書きとどめている。
 
この間、イスラエルはミュラーの追及を独自に継続しており、[[1967年]]に西ドイツ警察はミュラーの妻がいるアパートに侵入していた2名の[[イスラエル人]]スパイを逮捕した。なおイスラエルによる戦犯追及は、ユダヤ人作家[[マイケル・バー=ゾウハー]]著、[[広瀬順弘]]訳『復讐者たち』([[ハヤカワ文庫]]、1989年)に詳しい。
 
1990年代のソ連崩壊まで、CIAは「もしミュラーが生き残っているなら、ソ連か[[チェコスロバキア|チェコ]]でかくまわれている」という見解をとっていた。旧ソ連の公文書保管所から、ミュラーに関する文書は何一つ発見されていない。