「大平宿」の版間の差分

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昭和45年、住民の総意として集団移住を決定し、同年11月末、大平宿は約250年の歴史に幕を下ろしたが、現在でも有志によってその維持が続けられている。
 
==沿革==
*[[宝暦]]4年 - 木地師・大蔵五平治、穀商人・山田屋新七らが開墾。入植数7戸。
*宝暦6年 - 飯田藩により水路建設。
*[[安永 (元号)|安永]]6年 - 木地税の廃止を嘆願。
*安永7年[[11月]] - 木地税の廃止。
*[[天明]]元年 - 貧困により大平から初の移住者が出る(山田屋新七の子孫)。戸数22戸。
*[[文化 (元号)|文化]]10年代 - 宿場町として栄える。
*[[天保]]7-11年 - 寒波による飢饉の発生。
*[[安政]]3年 - 宿場町として最盛。約28戸180人。
*[[1872年]](明治5年) - 学制が頒布。戸数39戸。
*[[1873年]](明治6年) - 大平第三番小学正道学校(後に丸山小学校大平分校と改名)開校。戸数47戸。
*[[1896年]](明治29年) - 大平郵便局開局。
*[[1903年]](明治36年) - 小学校生徒数が90名を超える。
*[[1904年]](明治37年) - 大平街道が県道大平線となる。
*[[1920年]](大正9年) - 大平経由の飯田・木曽線の定期バスが1日3便で運行開始([[信南交通|大平自動車株式会社]])。戸数75戸。
*[[1957年]](昭和32年) - 大平郵便局廃止。
*[[1960年]](昭和35年) - 県内外への転出増加。戸数38戸176名まで減。
*[[1970年]](昭和45年) - 住民総意として集団移住を決定。
**[[3月9日]] - 飯田市大平移住問題対策特別委員会へ集団移住請願書を提出。
**[[11月30日]] - 全住民28戸が移住を終え、[[廃村]]となる。
*[[1973年]](昭和48年) - 別荘地として観光地開発計画が浮上。
**[[8月]] - 会社倒産により開発計画中止。大平宿保存活動団体「満寿屋(ますや)会(現・大平をのこす会)」結成。
*[[1982年]](昭和57年) - 飯田市に「大平保存再生協議会」発足。「大平憲章」制定。
*[[1984年]](昭和59年) - 飯田市が自然環境保全地区に指定。
*[[2004年]](平成16年)春 - [[山田洋次]]監督作品'''「[[隠し剣 鬼の爪]]」'''最後の決闘シーンが撮影される。
 
==沿革==