「三波伸介 (初代)」の版間の差分

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=== 晩年・突然の死 ===
[[1982年]][[12月8日]]15時過ぎ、明かりが落ちた自宅の居間で倒れているのを外出から戻って来た和子夫人と付き人波連太郎が発見、救急車で病院へ運ばれたが既に意識不明の状態で、[[大動脈解離|解離性大動脈瘤破裂]]により意識は戻らないまま急逝した満52歳没([[享年]]53)。<br />
 
[[肥満|肥満体]]であったことと、多忙のため多い日でも3〜5時間しか睡眠を取れず、[[タバコ]]は一日最低でも3箱を吸い、さらに[[コーヒー]]も数杯好んで飲んでいた。ただし、[[酒]]は[[下戸]]で一滴も飲まなかった。多くのレギュラー番組を抱え、名司会者として順風満帆の芸能生活を送っていた矢先の死だった。突然の[[訃報]]を受け駆けつけた盟友の伊東は対面で開口「こりゃあウソだろう。寝てるんだろう!」と発し記者会見の場で、「(三波の亡骸を触ったときに)体がまだ温かいんですよ。温かいものだから死んだ気がしなくて……。寄らば大樹の陰で、私などは彼のおかげでここまで来れた。(てんぷくトリオは)もう一人になってしまったんだなぁ……」と言いながら号泣した。[[棺]]に納められる際の三波は、妻と息子([[三波伸介 (2代目)]])と伊東によって黒の紋付き袴が着せられた。<br />