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[[File:Landlocked countries.svg|250px|thumb|right|世界の内陸国]]
[[ImageFile:Island nations.png|thumb|250px|世界の[[島国]]<br>([[領土]]がすべて[[島]]で構成される国)]]
[[ImageFile:Borderless countries.PNG|thumb|250px|陸上の国境がない国]]
'''内陸国'''(ないりくこく 英:[[:en:Landlocked country|Landlocked country]])とは、[[陸]]の[[国境]]に囲まれ、[[海]]がない[[国]]である。対義語は[[島国]]。
世界には48の内陸国がある。
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その後、世界で大規模船舶建造が行われ食糧や燃料、人員を大量に積んで長距離での航海が盛んになり、植民地を得ることが自国の繁栄につながると考えられるようになると、進出侵略上では海に面した国のほうが先んじることになった。大型船舶の建造は植民地と本国との海運貿易の発達を促し、中世から第一次世界大戦戦後にかけては欧州各国は内陸国であっても海への出口を確保することに躍起になった。
[[File:Neum strip location map.svg|thumb|白はクロアチア領。赤はボスニア・ヘルツェゴビナで唯一海岸がある町ネウム。]]
* 18世紀、[[アドリア海]]に面する[[ドゥブロヴニク|ドゥブロヴニク共和国]]は[[オスマン帝国]]に[[ネウム]]の町を割譲した。これは、アドリア海沿岸に進出した[[ヴェネツィア]]との紛争を防ぐため、陸上の国境をなくす目的であったが、このときの国境線が[[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]にまで引き継がれ、結果的にネウム付近は同国唯一の海岸となっている<ref>[http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/euro/dubrovnik.html ドゥブロヴニク]</ref>。
* [[コンゴ国際協会]](現[[コンゴ民主共和国]])は、[[1885年]]の[[ベルリン会議 (アフリカ分割)|ベルリン会議]]において、海への出口として、[[アンゴラ]]を二分する細長い土地(回廊)を与えられた。