「ルイ14世 (フランス王)」の版間の差分

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=== 出生を巡る俗説 ===
[[ファイル:AnnaofAustria11.jpg|thumb|150px|母后アンヌ・ドートリッシュと幼少のルイ14世<br>(作者不明、17世紀)]]
ルイ14世の出生には醜聞が付きまとった。実父については父王の宰相[[リシュリュー]]とする説やアンヌ・ドートリッシュの摂政時代に宰相を務めたマザランであったとする説がある。こうした俗説が出回る背景には、ルイ13世とアンヌ・ドートリッシュの仲が長い間冷え切っていたという事情がある。アンヌ・ドートリッシュは美女として名高く、例えばイングランドの[[バッキンガム公爵]][[ジョージ・ヴィリアーズ (初代バッキンガム公)|ジョージ・ヴィリアーズ]]が公然と言い寄ったこともあるほどだが<ref name=Leitner208212>[[#ライトナー 1996|ライトナー 1996]],pp.208-212.</ref>、ルイ13世とは反りが合わなかった。<ref group="注釈">ルイ13世と王妃アンヌ・ドートリッシュとが不仲になった原因は王妃が2度も流産を続けたためであった。[[#ライトナー 1996|ライトナー 1996]],pp.204-206.</ref>ルイ13世は同性愛傾向が強かったとされている<ref>Louis Cromption, Homosexuality and Civilization, London, 1991. The grandson of Henry III, Saint-Luc, penned the irreverent rhyme: 'Become a bugger, Baradas / if you are not already one / like Maugiron my grandfather / and La Valette'.</ref>。<ref group="注釈">ルイ13世と王妃アンヌ・ドートリッシュとが不仲になった原因は王妃が2度も流産を続けたためであった。[[#ライトナー 1996|ライトナー 1996]],pp.204-206.</ref>。ところがある日、狩りのため遠出したルイ13世は妻アンヌの城館の付近で悪天候に見舞われ、やむなくアンヌの城館に一夜の宿を請うたところ、その夜のことで生れたのがルイ14世であったとされる<ref>[[#山上 1975|山上 1975]],p.54-55.</ref>。
 
リシュリュー実父説は1692年にドイツのケルンで出版された『アンヌ・ドートリッシュの情事』と題された小説が出典であり、[[ヴォルテール]]の『ルイ十四世の世紀』で言及されたことでお墨付きが与えられてしまった<ref>[[#ベルセ 2008|ベルセ 2008]],p.68.</ref>。また、アンヌ・ドートリッシュとマザランが愛人関係にあったとする説も根強いが<ref>[[#ミシュレ 2010|ミシュレ 2010]],p.204;[[#ライトナー 1996|ライトナー 1996]],pp.230-231.</ref>、少なくともアンヌがルイ14世を妊娠した1637年12月は、まだマザランが[[イタリア]]にいた時期であり、このマザランが父親という話の方も単なる噂話である<ref>[[#ライトナー 1996|ライトナー 1996]],pp.230-231.</ref>。