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{{出典の明記|date=20092016107月}}
'''人文主義者'''(じんぶんしゅぎしゃ)とは、[[ルネサンス]]期において、[[ギリシア]]・[[ローマ]]の古典文芸や聖書原典の[[研究]]を元に、[[神]]や[[人間]]の[[本質]]を考察した[[知識人]]のこと。特に、[[15世紀]]-[[16世紀]]に活動したフランス人の影響が大きいため、日本では[[フランス語]]のまま「'''ユマニスト'''」({{lang-fr-short|humaniste}})と表現されたりもする<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%83%A6%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%88-145364 ユマニストとは] - [[ブリタニカ国際大百科事典]]/[[世界大百科事典]]/[[コトバンク]]</ref>。[[英語]]では「ヒューマニスト」({{lang-en-short|humanist}})、[[イタリア語]]で「ウマニスタ」({{lang-it-short|Umanista}})など、各言語の相当語彙でも共有・表現される概念だが、[[人道主義]]・[[博愛主義]]などの意味で用いられる場合と区別するために、「ルネサンス・ヒューマニスト」([[:en:Renaissance humanist|Renaissance humanist]])などと表現されたりもする。'''人文学者'''(じんぶんがくしゃ)とも<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%83%A6%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%88-145364 ユマニストとは] - [[日本大百科全書]]([[ニッポニカ]])/[[コトバンク]]</ref>。
{{出典の明記|date=2009年10月}}
 
== 概要 ==
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*[[16世紀]]初めにはイタリア・ルネサンスを代表する著作『[[君主論]]』([[ニッコロ・マキャヴェッリ|マキアベリ]])、『宮廷人』([[バルダッサーレ・カスティリオーネ|カスティリオーネ]])などが執筆された。
 
旧約・新約聖書の本文について、[[ヘブライ語]]および[[ギリシア語]]原文にさかのぼっての研究も進められ、[[カトリック教会]]の公式なラテン語訳聖書とされていた[[ヴルガータ]]聖書の訳文に問題があることも知られるようになった。ギリシア語原文を読むことは聖書解釈の再検討、ひいてはカトリック批判につながるとして、{{要出典範囲|ギリシア語を学ぶこと自体が異端問題視される場合もあった。|date=2009年10月}}
 
人文主義者の[[思想]]には、後の[[宗教改革]]に結びつく要素も見られ、既成の権威に反抗して弾圧を受けた人物も見られる。ただし人文主義者の多くは穏健な思想を持ち、ほとんどの場合カトリックの信仰を保っていた。学識によって宮廷に仕え、権力者のブレーンとして活動した人物も多かった。従って、カトリック側と宗教改革運動側の対立が激しくなると、人文主義者は渦中から身を引く場合が多かった。「エラスムスが生んだ卵をルターがかえした」と言われるように、宗教改革の初期、エラスムスはルターを支持していたが、まもなく両者は決別した。こうした点で人文主義者の限界が指摘されることもある。しかし、神や人間の本質・本道への理解と実践へ立ち返ることを求めた人文主義者が、[[フランス宗教戦争|ユグノー戦争]]に例を見るような、神の本質の理解と相容れがたい狂信的な宗教対立を忌むことは当然の帰着であり、むしろ人文主義者のそうした声が宗教改革において無視されたともいえる。