「エストゥールネル・ド・コンスタン」の版間の差分

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[[Image:PaulBalluet.gif|thumb|300px|right|エストゥルネル・ド・コンスタン]]
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{{thumbnail:ノーベル賞受賞者|1909年|ノーベル平和賞|英仏、独仏の相互理解のための国際仲裁に関する顕著な外交実績に対して}}
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'''エストゥルネル・ド・コンスタン'''(Paul-Henri-Benjamin d'Estournelles de Constant、[[1852年]][[11月22日]] - [[1924年]][[5月15日]])は、[[フランス]]の外交官で政治家である。[[常設仲裁裁判所]]の提唱者で1909年の[[ノーベル平和賞]]受賞者である。彼は[[サルト県]]の、[[十字軍]]の時代まで系譜が遡る古い貴族の家に生まれた。有名な政治家で作家の[[バンジャマン・コンスタン]]は大叔父にあたる。[[パリ]]の[[リセ・ルイ=ル=グラン]]で法律と東洋の言語を学ぶんだ後、1876年に外交官となった。
 
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