「ルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前16年の執政官)」の版間の差分

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'''ルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス'''('''Lucius Domitius Ahenobarbus''', ? - [[25年]])は、[[ユリウス・クラウディウス朝]]期の[[元老院 (ローマ)|元老院]]議員。父は[[グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前32年の執政官)|グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス]]、母は[[アエミリア・レピダ]]、そして第二回三頭政治の一頭、[[マルクス・アエミリウス・レピドゥス|レピドゥス]]とは従兄弟同士となる。
 
若い頃は[[戦車競走]]で有名だったと言う。また[[ゲルマニア]]深くまで侵攻したという業績で凱旋式を挙げたとも言うが、[[スエトニウス]]によれば性格は傲慢で残酷、評判悪く、そして浪費家であったと言う。ドミティウスは[[アエディリス]]、[[プラエトル]]、そして[[16年]]に[[コンスル]]の官職に就任した。また剣闘士の試合を興行するのが好みで、[[剣闘士]]のトーナメントや野獣狩りを催したと言う。