「マクセンティウスのバシリカ」の版間の差分

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中央の身廊および南側の側廊は、847年の地震でほぼ倒壊したと考えられている<ref>René Seindal [http://sights.seindal.dk/sight/177_Basilica_of_Maxentius.html "Basilica of Maxentius - the last and largest basilica in the Roman Forum"], ''Photo Archive'', 2003-08-06, accessed November 7, 2010.</ref>。また、1349年の地震で身廊の天井は完全に倒壊したようである。最後まで残っていた高さ20mの支柱は、教皇[[パウルス5世 (ローマ教皇)|パウルス5世]]が手がけた[[サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂]]の建築に流用された。現在残っているのは北側の[[側廊]]部と、コンクリート製の筒型[[ヴォールト]]だけである<ref>Roth, Leland M. (1993). Understanding Architecture: Its Elements, History and Meaning (First ed.). Boulder, CO: Westview Press. pp. 30, 222. ISBN 0-06-430158-3.</ref>。この天井は重量を軽くするため、内面に八角形の[[格間]]を設けるなど、高度な建築技術が用いられている。
 
[[古代ローマ]]で[[バシリカ]]の役割は、その巨大な中央ホール部分(身廊部)を利用しての[[元老院 (ローマ)|元老院]]議事堂や[[裁判]]の場、あるいは会議場であった。壁に沿ったニッチ([[壁龕]])には様々な[[ローマ神話|ローマ神]]の像が置かれているのが普通であった。キリスト教を公認した[[コンスタンティヌス1世]]や、その後継者たちは、この[[バシリカ]]の建築様式を[[教会堂]]の建築に適用した。後に、「バシリカ」とは巨大な教会堂建築の建築様式を指す言葉に変容した。
 
現在、マクセンティウスのバシリカの外壁は茶褐色を呈しているが、破壊される前の色は白であった。現在、{{仮リンク|フォリ・インペリアリ通り|en|Via dei Fori Imperiali}}側の壁面には、[[ベニート・ムッソリーニ]]が作らせた時代別のローマ帝国の全体図が4枚掲げられているが、ムッソリーニの夢であった「新ローマ帝国想定図」は取り外されている。
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