「ソニー・リストン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
7行目:
|nationality={{USA}}
|birth_date=[[1932年]][[5月8日]]
|birth_place=[[アメリカ合衆国]]、[[アーカンソー州]]
|death_date={{死亡年月日と没年齢|1932|5|8|1970|12|30}}
|death_place=[[アメリカ合衆国]]、[[ネバダ州]][[ラスベガス]]
|style=[[オーソドックス]]
|total=54
33行目:
この頃から数年に渡って、ボクシングプロモーターでフィラデルフィアマフィアの裏の顔を持つフランク・パレルモと、ニューヨークマフィアの[[ルッケーゼ一家]]の一員で[[マーダー・インク]]の殺し屋でもあったフランキー・カルボの支配下で試合を行うようになる<ref name="Sonny was a killing machine" />。
 
[[1962年]][[9月25日]]、[[フロイド・パターソン]]に1ラウンド初回KO勝ちし、世界ヘビー級タイトルを獲得。1度防衛。
 
[[1964年]][[2月25日]]、[[フロリダ州]][[マイアミビーチ]]・[[コンベンションセンター]]にてカシアス・クレイ([[モハメド・アリ]])の挑戦を受け、6ラウンド終了後に試合を棄権(試合はRTDによるTKO負けを喫して王座を陥落。
 
[[1965年]][[5月25日]]、[[メイン州]][[ルイストン (メイン州)|ルイストン]]にてクレイにリターンマッチを挑むが、1ラウンド初回2分12秒でKO負けを喫した。
 
[[1971年]]1月5日、帰省から戻ってきた妻がラスベガスの自宅ベットの下でリストンが死んでいるのを発見、検査官によって既に6日前に死亡していたと推定された。死因についてはキッチンでヘロインが見つかり、リストンの腕にも注射痕があったことからヘロインの過剰摂取とされているが、心臓麻痺やマフィアに殺害されたなど諸説ある<ref name="Sonny was a killing machine" /><ref>{{cite web|url= http://www.reviewjournal.com/sports/boxing/those-who-knew-him-best-still-say-sonny-liston-was-done |title= Those who knew him best still say Sonny Liston was done in |publisher= Las Vegas Review-Journal |date= 2011-1-5 |accessdate= 2015-2-6}}</ref>。
 
== 脚注 ==
{{Reflist|2}}
 
== 関連項目 ==
47 ⟶ 50行目:
* [[世界ボクシング評議会世界王者一覧|世界ボクシング評議会(WBC)世界王者一覧]]
* [[統一世界王者]]
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|2}}
 
== 外部リンク ==