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=== 近鉄時代 ===
{{by|2002年}}は1軍登板なしに終わった。
{{by|2002年}}は一軍登板なしに終わるが、{{by|2003年}}7月18日の対[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]戦([[京セラドーム大阪|大阪ドーム]])で初登板を果たす。その後は一軍で中継ぎ、または左打者へのワンポイントで起用されたが勝ち星を挙げられず、{{by|2004年}}には投球回を上回る四球を与えるなど、制球難に苦しんだ。
 
{{by|2002年}}は一軍登板なしに終わるが、{{by|2003年}}[[7月18日]][[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]戦([[京セラドーム大阪|大阪ドーム]])で初登板を果たした。その後は一軍で中継ぎ、またはとして左打者へのワンポイントで起用されたが勝ち星を挙げられず、{{by|2004年}}には投球回を上回る四球を与えるなど、制球難に18試合の登板で防御率7点台と苦しんだ。
同年シーズン終了後、[[選手分配ドラフト]]において[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]へ移籍。
 
{{by|2004年}}には投球回を上回る四球を与えるなど制球難に苦しみ14試合の登板で勝利を挙げられなかった。
 
同年シーズン終了後、オリックスと合併することに伴い行われた[[選手分配ドラフト]]において[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]へ移籍。
 
=== 楽天時代 ===
楽天球団創設の年となった{{by|2005年}}移籍後初登板開幕2戦目の[[千葉ロッテマリーンズ]]戦([[千葉マリンスタジアム]])で果たし、2回から救援登板するも連打を浴びて即日2軍降格となった(試合も0-26で大敗)。再調整を経て1軍復帰後しばらくは中継ぎで起用されていたが、同年7月17日の[[北海道日本ハムファイターズ]]戦([[札幌ドーム]])で先発すると9回無失点の好投を見せて首脳陣の信頼を得る。この後は先発ローテーションに定着すると、同年7月31日の[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]戦([[西武ドーム|インボイスSEIBUドーム]])でプロ初勝利を初完投・初完封で飾り(楽天球団初の完封勝利)、有銘自身もプロ初登板から続いていた連敗を9で止めた。この年は3勝10敗と大きく負け越したものの、4完投を記録するなど自身の乱調から敗れる試合が少なく夏場以降は安定感を見せて最終的に37試合に登板した。
 
{{by|2006年}}[[8月25日]]対千葉ロッテマリーンズ戦([[宮城球場|フルキャストスタジアム宮城]])で先発すると、延長12回・188球を投げ切って17奪三振1失点の好投(試合は引き分けに終わった)を見せるなど、粘りの投球が目立つようになった。前年と似た起用がなされ、30試合に登板して2勝6敗4ホールド、防御率4.47の成績を残した。シーズン終了後は[[朝井秀樹]]・[[河田寿司]]と共に[[ハワイ・ウィンターリーグ]]へ参加した。ハワイではホノルル・シャークスに所属し、リーグ最多タイの4勝・リーグ最多の48回を投げ、防御率2.63(リーグ4位)と結果を残した。
 
{{by|2007年}}は開幕ローテーションに入り、同年4月3日の[[北海道日本ハムファイターズ]]戦(フルキャストスタジアム宮城)でシーズン初勝利を挙げた。この試合はこの年楽天先発の左腕投手が挙げた唯一の白星となった。同年しかし、4月10日の西武ライオンズ戦(フルキャストスタジアム宮城)では3回持たずに降板するなどしてしまい、先発としての役目を果たせず、なかった。これ以降は中継ぎに配置転換された。同年6月8日の[[読売ジャイアンツ]]戦([[東京ドーム]])で[[高橋尚成]]から中前安打を放ってプロ初安打を記録した。同年7月11日の[[福岡ソフトバンクホークス]]戦([[北九州市民球場]])で先発して以降はシーズン終了まで、[[渡邉恒樹]]・[[山村宏樹]]・[[永井怜]]と共に中継ぎで登板し、チームの同年8月の勝ち越しに貢献した。この年は52試合に登板して1勝8敗8ホールド、防御率4.17と自己最高の成績を残むシーズンではあったが初めてシーズン通して1軍に登録された。
 
{{by|2008年}}はオープン戦の不調で開幕1軍を逃したものの、前年65試合に登板した渡邉恒樹が離脱したため左の中継ぎとして大車輪の活躍が求められた。また、チームに抑え投手が不在であることから度々抑えを任され、同年5月7日の対福岡ソフトバンクホークス戦([[宮城球場|クリネックススタジアム宮城]])でプロ初セーブを記録した。左打者へのワンポイントで登板するなど起用が固定されなかったが全体的に安定した働きを見せ、リーグ最多の66試合に登板して防御率2.05、チーム最多の19ホールドポイントを記録するなど、前年を大きく上回る自己最高の成績を残した。
 
{{by|2009年}}は開幕から主に中継ぎとして登板するしていたが、同年6月7日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)では2007年7月11日以来となる先発登板を果たして3回無失点に抑えた。前半戦だけで防御率2.36という好成績を評価され、監督推薦によってプロ8年目でオールスター戦に初選出された。しかし、オールスター戦では1死しか奪えず3安打2四球を許して降板した。その後は調子を落とし、後半戦になると安定していた制球力が悪化し、左打者へのワンポイントで登板したにも関わらず四球を与えてそのまま降板したり、打ち込まれるケースが増加した。最終的には、54試合に登板して前年を上回るチーム最多の20ホールドポイントを挙げたものの、防御率5.15と大幅に悪化してしまった。
 
{{by|2010年}}は開幕を1軍で迎えて安定した投球を続けるが、自身の故障や[[片山博視]]の台頭もあり、前年までの登板数を大きく下回ってしまいわずか13試合の登板に終わった。
 
{{by|2011年}}[[6月18日]][[阪神タイガース]]戦([[阪神甲子園球場]])では6回裏に3番手で登板して[[クレイグ・ブラゼル]]を二飛に打ち取り、7回裏の攻撃前に降雨コールドとなったため、2年ぶりのセーブが記録された。しかし、同年も登板機会は多くなく防御率1点台だったものの18試合登板に終わった。
 
{{by|2012年}}は開幕を2軍で迎え、同年た。6月3日にようやく1軍登録され、同年6月5日の阪神タイガース戦([[宮城球場|クリネックススタジアム宮城]])の9回表に4番手として登板。しかし、[[平野恵一]]に押し出しの四球を与えただけで降板するとすぐにしてしまった。そして再降格するとなった。その後は1軍復帰を果たすことができず、同年この1試合だけの登板に終わってしまい、10月2日に球団から[[戦力外通告]]を受けた<ref>[http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/2563.html 来季の選手契約に関して]2012年10月2日 東北楽天ゴールデンイーグルス オフィシャルサイト</ref>。その後、11月9日にクリネックススタジアム宮城で行われた[[12球団合同トライアウト]]に参加も、獲得に動く球団は現れず現役を引退。
 
=== 引退後 ===
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