「江利チエミ」の版間の差分

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=== 幅広いジャンルで活躍 ===
メジャーデビューシングルの「テネシーワルツ」は23万枚<ref name=fu_63>世相風俗観察会(編)『現代風俗史年表 昭和20年(1945)→昭和60年(1985)』[[河出書房新社]]、1986年、63頁。ISBN 4-309-24089-5。</ref>、続く「ツゥー・ヤング」(トゥー・ヤング)も15万枚<ref name=fu_63 />の大ヒットとなった。
 
チエミの「テネシーワルツ」の大ヒットは「日本語と英語のチャンポン」というスタイルを用いたこともあり、それまで都市部中心でのブームであった「[[ジャズ]]」(当時は[[洋楽]]を総称してこう呼んだ)を全国区にするにあたり、牽引役を果たした。また、後の[[ペギー葉山]]、そしてカントリーの[[小坂一也]]、そして[[ロカビリー]]ブームなど、日本における「[[カバー]]歌手」のメジャー化のさきがけともなった。