「甘寧」の版間の差分

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== 経歴 ==
=== 孫権に従う以前 ===
先祖は[[南陽郡]]の人であったが、巴郡に移住してきたという(『呉書』)<ref>『晋書』巻70 列伝第40甘卓伝では、甘寧の祖は[[秦]]の[[甘茂]]とする(原文「“甘卓字季思,丹楊人,秦丞相茂之後也。曾祖寧,為吳將”」)。</ref>。甘寧は計掾(会計報告係)に推挙され、[[郡]]の丞となったが、ほどなくして官を棄て、家に帰った(『呉書』)。
 
若い頃より気概があって遊侠を好み、不良の若者を集めて武装させ、彼らの頭領となった。仲間たちは皆、羽飾りを背負い、鈴を常に携えていたので、民衆は鈴の音を聞いただけでそれが甘寧一味だと分かったという。派手な装いで外出し、陸路や水路を闊歩した(『呉書』)。人に出会った時は、地方の長官だろうと自分達を盛大に歓待させ、そうしない者には手下を使って財産を奪わせた。また自分が属する地方の長官の領内で犯罪があれば摘発と制裁を行った。このような生活が20年ほど続いたが、あるとき、乱暴をパッタリと止め、いくつか書物を読むようになったという。
[[凌統]]とは、かつて甘寧が父の凌操を戦死させたことから不仲であり、甘寧は凌統と会おうとはせず、孫権の方でも凌統に自重するよう求めていた。
 
あるとき、呂蒙の家で酒宴が催されたとき、凌統がを持って舞を始めると、甘寧も双戟を持って舞を始めた。呂蒙はと楯を持って2人の間に割り込んだ。孫権は凌統の気持ちの深さを知り、甘寧を[[九江市|半州]]に移してそこに駐屯させることにした。あるとき、甘寧の料理人が小さな失敗をして、呂蒙の下へ逃げ込んだ。呂蒙は甘寧の激しい性格を知っていたので、決して料理人を殺さないと誓わせ、口添えした上で料理人を帰した。ところが、甘寧はこの料理人を樹に縛りつけた上で射殺してしまった。これには呂蒙も激怒して甘寧を処罰しようとしたところ、呂蒙の母は「天下の大局は難しいところに来ています。内輪もめをしている場合ではありますまい」と諌めたので、呂蒙は気持ちを改めて和解を持ちかけた。甘寧は涙ながらにこれを受け、事なきを得たという。
 
夏口の守備を任されていた[[孫皎]]の指揮下におかれたが、年下の孫皎に軽く扱われたため激怒し、陸口の呂蒙の指揮下に変更してもらいたいと孫権に嘆願した。孫権は孫皎に訓戒を与えた(呉志「宗室伝」)。
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