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'''祝 朝奉'''(しゅく ちょうほう)は、[[中国]]の[[小説]]で[[四大奇書]]の一つである『[[水滸伝]]』の登場人物。
第47回
== 生涯 ==
祝朝奉の名が作中に登場するのは、翠屏山の騒動の後、梁山泊に身を寄せようとした[[楊雄]]、[[石秀]]、[[時遷]]が途中で立ち寄った祝家荘の宿屋で騒動を起こし、村人に時遷を捕らえられた楊雄らが逃げ込んだ居酒屋で、楊雄の顔馴染みでもある店の主人[[杜興]]の口から独竜岡三荘について語られた際の事である。独竜岡には三つの村が隣接しており、中央に祝家荘、西側に扈家荘、東側に李家荘があり、三荘の兵力を合わせると
杜興の提案で、楊雄と石秀は祝朝奉の縁戚関係で盟友でもある李家荘の主[[李応]]を通じて、捕縛された時遷の解放を祝朝奉に要求するが、手紙による要求は祝家の三兄弟に侮辱と共に一蹴され、李応自身が直接出向いて直談判に及ぼうとすると
かくして祝家荘は梁山泊軍と干戈を交えることになったが、元々梁山泊軍の来襲に備えて軍備を固めていた祝家荘の守りは堅牢であり、欒廷玉や扈家荘から援軍として駆けつけてきた、同じく縁戚関係にある女将軍[[扈三娘]](祝彪の婚約者)の活躍もあって、多数の英雄豪傑を抱える梁山泊軍を相手に互角以上の戦いを繰り広げる。[[林冲]]の手で扈三娘が捕縛されてしまう一幕もあったものの、2度の戦いで[[黄信]]、[[楊林]]、[[王英 (水滸伝)|王英]]、[[秦明]]、[[トウ飛|鄧飛]]を手取りにするという赫々たる戦果を挙げた。
しかし欒廷玉の義兄弟であり豪傑としても名高い登州の提轄[[孫立]]とその一族を味方として自陣に招き入れてしまった事からその優位は揺らぎを見せ始める。孫立が家族を連れていた事や、武芸師範である欒廷玉の昔馴染みである事から祝朝奉も息子たちも彼らの事をすっかり信用してしまっていたが、実は孫立は既に梁山泊に通じており内応のために送り込まれていた。孫立は攻め寄せてきた石秀を捕縛してみせ祝朝奉たちを信用させると、四手に分かれて梁山泊軍が総攻撃を仕掛け三傑や欒廷玉らがその迎撃の為に出撃した頃合を見計って捕らえられた頭領たちを解放し屋敷に居た者たちを皆殺しにした。祝朝奉は井戸の中に身を隠そうとしたが石秀によって首を討たれてしまう。迎撃に出ていた息子たちもそれぞれ討ち取られ、祝家荘の五十万石に及ぶ金銭糧秣は尽く梁山泊によって接収されたのである。▼
▲しかし、欒廷玉の義兄弟であり豪傑としても名高い登州の提轄[[孫立]]とその一族を、味方として自陣に招き入れてしまった
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