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== 日本における歴史 ==
=== 平安時代 ===
古くは[[988年]]([[永延]]2年)に[[藤原保輔]](ふじわらのやすすけ)が事件を起こして逮捕された時に、自分の腹を切り裂き自殺をはかり翌日になって獄中で死亡したという記録が残る。[[平家物語]]、[[太平記]]などの文献では、切腹自体は例が多いものの<ref>「或は痛手追ふて腹掻き切り川へ飛入る者もあり」平家物語巻四 橋合戦</ref>、自決の方法は刀を口にくわえて馬から飛び降りる、鎧を重ねて着、海に飛び込むなど一定しておらず、切腹が特に名誉な自殺方法と見られることもなかった。武士への死刑執行も全て[[斬首刑]]で、身分ある武士といえども敵に捕縛されれば斬首刑か、監禁後に[[謀殺]]であった。
{{正確性|date=2010年6月|section=1}}
日本における切腹は、[[平安時代]]末期の武士である[[源為朝]]([[1139年]]([[保延]]5年) - [[1170年]]([[嘉応]]2年))が最初に行ったと言われている。また[[藤原保輔]](ふじわらのやすすけ)が[[988年]]([[永延]]2年)に事件を起こして逮捕された時に自分の腹を切り裂き自殺をはかり翌日になって獄中で死亡したという記録が残っているが、彼の場合は切腹の趣旨である、己の責任を取る意図だったのかは明確ではない。
 
近世以前の事例を見ると、一部の例外を除いて、切腹は敵に捕縛され、斬首されることを避けるための自決に限られている。戦に敗れたから即自決というわけではなく、地下に潜り(逃亡し、本当の身分を伏せて生きること)再起を図ろうとする武士も大勢いた。また、壮絶な切腹は畏敬の念を持たれることもあるが、切腹自体は自決のひとつに過ぎず、特に名誉と見られることもなかった。武士への死刑執行も全て[[斬首刑]]で、身分ある武士といえども敵に捕縛されれば斬首刑か、監禁後に[[謀殺]]であった。
 
=== 室町・戦国時代 ===