「千歳型水上機母艦」の版間の差分

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航空機揚収用クレーンは帰着甲板後方支柱の後方に左右1基ずつ<ref name="写真日本の軍艦第4巻p131上">[[#写真日本の軍艦第4巻]]p.131上の写真及び解説</ref>、艦尾の左舷よりに折り畳み式クレーン1基を装備した<ref name="写真日本の軍艦第4巻p132上">[[#写真日本の軍艦第4巻]]p.132上の写真及び解説</ref><ref>[[#海軍艦艇公式図面集]]pp.112-115、『18、水上機母艦千代田 昭和14年 舷外側面 上甲板平面』</ref><ref group="注釈">[[#海軍艦艇公式図面集]]pp.112-115の公式図では『7番飛行機揚収用「クレーン」』と記載されている。一方[[#写真日本の軍艦第4巻]]p.132では『組み立ての水偵用「デリック」』と表記している。</ref>。
 
実際の運用では1938年10月時に千歳は8機を搭載<ref>[[#日本航空母艦史]]p.124上写真の解説</ref>、中国進出時の千代田は9機搭載といわれる<ref name="写真日本の軍艦第4巻p142上">[[#写真日本の軍艦第4巻]]p.142上の写真解説</ref>。機種としては九五式水上偵察機以外では、千歳の公試時の写真では[[九四式水上偵察機|九四式一号水上偵察機]]を搭載<ref name="写真日本の軍艦第4巻p130上">[[#写真日本の軍艦第4巻]]p.130上の写真及び解説</ref>、1940年頃の千代田は九四式二号水上偵察機の搭載も確認される<ref name="日本航空母艦史p125中" >[[#日本航空母艦史]]p125中</ref>。また、ミッドウェー海戦の頃の「千歳」の写真では[[零式水上観測機]]と[[零式水上偵察機]]を搭載していた<ref name="写真日本の軍艦第4巻p135下">[[#写真日本の軍艦第4巻]]p.135下の写真及び解説</ref>。
 
=== 帰着甲板 ===