「和田山バイパス」の版間の差分

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[[1960年代]]前半になると交通量が増加し、国道9号と県道姫路豊岡線(現[[国道312号]])が重複する[[和田山町]](現朝来市)・[[八鹿町]](現[[養父市]])間約12kmおよびその周辺の[[渋滞]]が激しくなったため、これを解消する目的で建設された。建設前は、特に[[年末年始]]と[[お盆#お盆休み|お盆休み]]の[[帰省ラッシュ]]および行楽シーズンには和田山 - 八鹿間に3 - 4[[時間 (単位)|時間]]を要することも珍しくはなかったようである。
 
途中の小さな[[丘陵]]は削られる予定であったが、城ノ山[[古墳]]と確認され、墳丘の下に[[トンネル]]を通すことで保存されている。また、[[但馬国|但馬]]最大の[[前方後円墳]]である池田古墳については墳丘の損傷が激しかったため、上部に[[盛土]]することで道路が建設される予定であったが、[[橋|橋梁]]により古墳をまたぐことで保存された(現在は老朽化のため橋梁が撤去され、盛土の上に道路が通るように改良されている)
 
== 位置関係 ==