「観音菩薩」の版間の差分

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しかしながら、中国では「慈母観音」などという言葉から示されるように、俗に女性と見る向きが多い。<!-- 根拠不明、コメントアウト
これには則天武后の影響を指摘する声もある。-->また、例えば[[地蔵菩薩]]を観音と同じ[[一闡提#大悲闡提|大悲闡提]]の一対として見る場合が多く、地蔵が男性の僧侶形の像容であるのに対し、観音は女性的な顔立ちの像容も多いことからそのように見る場合が多い<ref>[[#松原・三木1999|松原・三木1999]] {{要ページ番号|date=2015-11-03}}。松原哲明によれば一般的には女性だと誤解されており、大正期の岡本かの子等は、各宗教の神々でミスコンを行った場合、観世音菩薩はミス仏教だろうと主張しているが、れっきとした男性だと念押ししている。ただし、岡本も観音が男性であることは確かだが、女性として見たいと主張している{{要ページ番号|date=2015-11-03}}。</ref>。観音経では「婦女身得度者、即現婦女身而為説法」と、女性に対しては女性に変身して説法することもあるため、次第に性別は無いものとして捉えられるようになった。また後代に至ると観音を女性と見る傾向が多くなった。これは中国における観音信仰の一大聖地である[[補陀落|普陀落山]](浙江省・[[舟山群島]])から東シナ海域や黄海にまで広まったことで、その航海安全を祈念する民俗信仰や[[道教]]の[[媽祖]]信仰などの女神と結び付いたためと考えられている{{要出典|date=2015年11月3日 (火) 14:30 (UTC)}}。
 
また、妙荘王の末女である[[妙善]]という女性が[[尼僧]]として出家、成道し、観音菩薩となったという説話が十二世紀頃に中国全土に流布し、『[[香山宝巻]]』の成立によって王女妙善説話が定着、美しい女性としての観音菩薩のイメージが定着したとする説もある<ref>[[平木康平]]『[http://ci.nii.ac.jp/naid/40000306746 媽祖と観音--中国母神の研究-2-]』, 大阪府立大学紀要 人文・社会科学 (32), p54-55, 1984</ref>。
 
== 所依経典(観音経) ==