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'''渡辺 政之輔'''(わたなべ まさのすけ、[[1899年]](明治32年)[[9月7日]] ‐ [[1928年]](昭和3年)[[10月6日]])は日本の[[労働運動家]]、[[政治活動家]]、非合法政党時代の[[日本共産党]]([[第二次共産党 (日本)|第二次共産党]])の[[書記長]]。「'''渡政'''」(わたまさ)の通称で知られ
 
== 生涯 ==
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[[1928年]](昭和3年)、国際連絡の帰途、[[台湾]]の[[基隆市|基隆]]で挙動不審ゆえ刑事に誰何された際、隠し持っていた[[拳銃]]で刑事を狙撃(翌日、死亡)したため官憲に追われ、包囲され自身の拳銃で自殺した{{refnest|group="注"|ただし、訪台して遺体を引き取った[[布施辰治]]によると、弾痕は渡辺の額の中央にあったという<ref>大石進 『弁護士布施辰治』 142頁</ref>。このため渡辺の死は自殺ではなく警官隊による射殺であるとの主張もある。}}。
 
妻は社会主義運動家・女性運動家として知られる[[丹野セツ]]を妻に持つ
 
== 脚注 ==