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=== 昭和時代 ===
[[第二次世界大戦]]中には、[[配給]]味噌の基準製法となったことも後押しとなっている<ref>[http://www.hinodemiso.co.jp/company/story.html 創業秘話](日出味噌醸造元ホームページ)</ref>。また、温度に着目した醸造法が各地で試された結果、大戦中の[[1944年]](昭和19年)に中田栄造([[マルマン (味噌製造)]]創業者)が醸造中の温度管理の適正化を進めた中田式速醸法を開発。醸造時間は20日とすることも可能となった。中田の信州味噌の醸造法とともに戦後、全国に普及した。
 
昭和30代後半までは、農村では多くの農家が味噌を家庭で作っており、昭和40年代の高度成長期とともに自家製味噌は減っていた<ref name="今井">今井誠一『味噌』農山漁村文化協会、2002年。10頁。</ref>。とはいうものの、仕込み味噌とよばれる味噌を買い、発酵と熟成は家庭で行うということがその後20年は続いた<ref name="今井"/>。
 
[[1970年代]](昭和40年代)までは食料品店([[酒屋]]、[[三河屋]])などで[[醤油]]や味噌が樽から量り売りされていたが、流通の変化などで量り売りは姿を消し、袋やプラスチック容器などのパッケージに入ったものに変わっている。従来は袋詰めの際、[[添加物]]として[[ソルビン酸カリウム]]が使用されたが、現在は[[酒精]]([[エタノール|エチルアルコール]])を2~3%添加する。これにより、耐塩性酵母を殺菌し、発酵で出る[[二酸化炭素]]による膨張を防ぐことができる。なお、調整処理されていないものは生味噌と呼ばれ、耐塩性酵母が引き続き活動している。