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XYZ-0990 (会話 | 投稿記録)
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'''鈴木 俊光'''(すずき・としみつ、[[1946年]][[10月22日]] - )は、TBC[[東北放送]]の元[[アナウンサー]]。
 
[[北海道]][[旭川市]]に生まれる。[[北海道旭川西高等学校]]、[[日本大学]][[文理学部]]社会学科卒。昭和45年4月[[山陽放送]](岡山)入社後、昭和46年10月TBCへ移籍する。アナウンス部長を経て制作総務、監理室長を務め2007年3月をもって定年退職したが、嘱託職でアナウンサーに復帰。監理室長となってからはTBCの番組から姿を消していたが、2007年4月より、[[めざましラジオ ~5時です 朝いちばん~]]で復帰を果たし、不定期ではあるが定時ニュースも担当している。また、2007年9月より、再び公式サイト上のアナウンサーのページに名を連ねるようになった
== 来歴 ==
[[北海道]][[旭川市]]に生まれる。[[北海道旭川西高等学校]]、[[日本大学]][[文理学部]]社会学科卒。昭和45年4月[[山陽放送]](岡山)入社後、昭和46年10月TBCへ移籍する。アナウンス部長を経て制作総務、監理室長を務め2007年3月をもって定年退職したが、嘱託職でアナウンサーに復帰。
 
== 人物 ==
*趣味は写真、ビデオカメラ、日曜大工。
 
平成10年の大晦日、NBCの生深夜番組でレポーターをつとめる息子と早朝番組担当の為準備中の父俊光アナがTBCのオールナイト番組中に引っ張り出され親子競演となる。NBCのディレクターの呼びかけで実現したもの。
 
== エピソード ==
監理室長となってからはTBCの番組から姿を消していたが、2007年4月より、[[めざましラジオ ~5時です 朝いちばん~]]で復帰を果たし、不定期ではあるが定時ニュースも担当している。また、2007年9月より、再び公式サイト上のアナウンサーのページに名を連ねるようになった。
 
2010年3月31日をもって東北放送を退社したが、その後はラジオを中心にニュース等の担当は続ける。
 
1972年(昭和47年)当時担当していたサテスタ番組「スタジオ緑屋7」で、ラジオ初の「素人カラオケ番組」を制作、大人気を博す。
「カラオケ」がまだ業界用語だった頃だ。歌手のキャンペーン用のカラオケテープを所属レコード会社、事務所から取り寄せ使用。著作権
に対してまだ緩い時代の事。その後一般向けにカラオケ機器が普及しだす。
同じ頃担当の深夜番組「AMO東北ヒットパレード」では、TV「8時だよ全員集合」の人気コーナー、[[加藤茶]]の「ちょっとだけよ」で
流れるペレスプラード楽団の「タブー」を紹介。たちまちランクインする。「タブー」の権利を持っていたビクターは廃盤になっていた
「タブー」を「ちょっとだけよタブー」として全国発売、ヒットする。
 
2011年3月11日 東日本大震災の際、TBCラジオで大地震、大津波来襲の第一報を伝える。女川港の定点カメラからの住宅が流される様子、仙台空港に押し寄せる津波の様子を実況する。これを聞いていた多くの人が避難し難を逃れた。
 
*趣味は写真、ビデオカメラ、日曜大工。
5月23朝日新聞夕刊(首都圏版)では、「もっと令口調で避難を呼びかけたなら更に何人かの命が救えたかも知れない」と後悔している。
 
== 現在の出演番組==
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*オールドパワー芸能合戦
*全国自治宝くじ抽選会
*「[[ザ・ベストテン]]」TBC追っかけマン・ラジオベストテン情報TBCラジオ担当
*[[東北新幹線]]上野開業特番キャスター
*[[ニュースの森 TBC]]キャスター