「分割統治」の版間の差分

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Luiyama (会話 | 投稿記録)
分割統治の言葉が複数の意味で用いられ、項目の中で異なる意味に関する説明がなされており著しく混乱される記載だったので補足した。
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[[19世紀]]以降の[[欧米]]の[[植民地]]経営は、この原理をよく応用した。[[イギリス]]は[[インド]]で、人種、宗教、地域の差異で分割した集団を互いに反目させることで長期の統治に成功した。[[ベルギー]]や[[ドイツ]]は、[[ルワンダ]]・[[ブルンジ]]において[[フツ]]と[[ツチ]]に格差をもうけ、少数派のツチを中間的な支配層とした。これが[[ルワンダ虐殺]]の遠因となったともいわれる。
 
国内の例としては徳川幕府による士農工商制度、および非人等と呼ばれる階級制があげられる。
 
上記の用法とは異なる概念だが元々一つの地域を複数の国家が分割して統治することを分割統治とよぶ場合もある。分割したのち単に併合した場合は分割統治とは通常呼ばない。
 
一つの地域である前提が維持されままで異なった複数の国家が地域ごとに統治する場合に呼ばれることがある。上記の用法と違って明確な定義はない。
 
この例としては以下の物があげられるうる。
 
=== 日本に対して実施された分割統治 ===