「自爆テロ」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2015年8月}}
{{テロリズム}}
'''自爆テロ'''(じばくテロ、英:suicide terrorism)terrorism、kamikaze)とは、犯人自身も[[死亡]]する事を前提とした[[テロリズム]]である。通常、人は自然と自分の身を守ろうとするもので、テロリズムなどの犯罪を行う場合でもそうしたがるものなのだが、自爆テロでは自分が死ぬことを承知の上で[[殺人]]・[[破壊活動]]などを行う。攻撃の内容がテロリズムに当たるのかどうかを特に問わない場合はsuicide attack “自殺攻撃”と呼ばれている。
 
ここでは爆弾を用いたものに限らず、犯人自身が必然的に死ぬことを承知の上で行う攻撃やテロリズム全般を扱う。
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1943年、[[ルドルフ=クリストフ・フォン・ゲルスドルフ]]は自爆テロによって[[アドルフ・ヒトラー]]の暗殺を試みたが、爆破を完遂することができなかった<ref>[[Roger Moorhouse]], ''Killing Hitler''. Jonathan Cape, 2006, ISBN 0-224-07121-1. Pages 191-193</ref>。
 
[[ベルリンの戦い]]において、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]は[[オーデル川]]にかかるソ連の橋に対して[[第200爆撃航空団 (ドイツ空軍)|自己犠牲任務]]飛行を行った。これらの任務は[[:en:Heiner Lange|Heiner Lange]]中佐の指揮の下、[[第200爆撃航空団 (ドイツ空軍)|レオニダス飛行中隊]]のパイロットによって遂行された。1945年4月17日から20日まで、使用可能なあらゆる航空機を用いて、ドイツ空軍は、その航空団により17の橋を破壊したと宣言した、しかしながら、その事件について本を記した軍事史家の[[:en:Antony Beevor|Antony Beevor]]は、この報告は誇張されており、確実に破壊できたのは[[キュストリン]]の鉄道橋だけだったであろうと考えている。彼は、"35名のパイロットとその乗っていた航空機が犠牲になったが、限定的で一時的な戦果しか揚がらなかったことを考えると、対価は非常に高く付いた"とコメントした。この任務は、ソ連の地上部隊が[[:en:Jüterbog|ユータボーク]]のその航空団の空軍基地の近くに到達したとき中止となった<ref>[[://en:.wikipedia.org/wiki/Antony &#x20;Beevor| Beevor, Antony]]. ''Berlin: The Downfall 1945'', Penguin Books, 2002, ISBN 0-670-88695-5. Page 238</ref>。
 
第二次世界大戦に続いて、[[ベトミン]]の"死の志願兵"たち (death volunteers) は[[:en:French Colonial Force|フランス植民地軍]]と戦闘した際、[[刺突爆雷]]でフランス軍の戦車を攻撃した。