「テクノクラート」の版間の差分

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== 概要 ==
多くのテクノクラートを輩出した時期は、[[近代]]からである。科学技術の発展により、その技術と[[政治]]力を結びつけ、[[国力]]を増大させる時にテクノクラートが大きな役割を果たしたと言われる。[[第二次世界大戦]]や[[冷戦]]時の[[軍事政策]]、米ソの[[宇宙開発競争]]などでは、実に多くのテクノクラートが活躍した。特に[[ソ連]]は[[計画経済]]での工学知識の必要性で生じた巨大な技術官僚制からテクノクラシーと呼ばれ<ref>Graham, Loren R. ''The Ghost of the Executed Engineer: Technology and the Fall of the Soviet Union''. Cambridge: Harvard University Press, 1993. 73</ref>、[[ブレジネフ]]ら[[ソ連共産党政治局]]のメンバーは88%がエンジニアであった<ref>Graham, 74.</ref>。同じ[[社会主義国家]]の[[中華人民共和国]]でも[[江沢民]]・[[胡錦濤]]・[[習近平]]など[[中国共産党]]の執行部は「理系」出身者で多く占められている<ref>[[岩田勝雄]]「[http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ec/dousoukai/column/2003_05_23.html 新執行部体制下の中国の課題 Ⅰ]」[[立命館大学]]、2003年5月。</ref>。
 
一般に、テクノクラートは[[科学主義]](テクノクラシー)を重んじ、時に民衆の利益よりも科学の発展を優先する傾向があるとされている。その暴走により、国家が破綻するとの考えもあるが、基本的に[[民主主義]]国家では、テクノクラートは国家及び民衆のためにその科学技術を基に国民の利益につながる政策に関与することが主である。