「スヴェン1世 (デンマーク王)」の版間の差分

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[[ファイル:Sweyn Forkbeard.jpg|thumb|right|スヴェン1世 (デンマーク王)]]
'''スヴェン1世ハラルドソン'''([[デンマーク語]]:'''Svend "Tveskæg"'''、[[ノルウェー語]]:'''Svein "Tjugeskjegg"'''、[[英語]]:'''Sweyn "Forkbeard"'''、 [[960年]] - [[1014年]][[2月3日]])は、'''“双叉髭王”'''(そうさひげおう)、'''“八字髭”'''(はちのじひげ)のあだ名をもつ[[デーン人]]の王。[[デンマーク君主一覧|デンマーク国王]](在位[[985年]] - [[1014年]])、[[ノルウェー君主一覧|ノルウェー国王]](在位[[985年]] - [[995年]]、[[1000年]] - [[1014年]])、[[イングランド王国|イングランド国王]](在位[[1013年]] - [[1014年]])を兼ねた。
== 生涯 ==
 
『[[ヘイムスクリングラ]]』によると、妻は、1人目は[[ヴェンド人|ヴェンド]]の王[[ブリスラヴ]]の娘、グンヒルド([[:en:Gunhild of Wenden|en]])。彼女の死後、[[スウェーデン]]王[[オーロフ (スウェーデン王)|オーロフ]]の母で、{{仮リンク|スコグルのトースティ|en|Skagul Toste}}の娘のシグリーズ([[:en:Sigrid the Haughty|Sigrid Storråda]])を2人目の妻に迎えた<ref>『ヘイムスクリングラ(二)』64-65頁(「第三十四章 ハラルド・ゴルムスソンの死」)。</ref>。
なお、『{{仮リンク|クニートリンガ・サガ|en|Knýtlinga saga}}』によればグンヒルドとの間に生まれたのが後の[[クヌート1世 (イングランド王)|クヌーズ2世]](クヌート1世)である。また『ヘイムスクリングラ』によれば、娘のギュザ<ref name="heim2">『ヘイムスクリングラ(二)』で確認できる表記。</ref>ギューザ(とも。[[:no:Gyda Sveinsdatter|no]])はノルウェーの[[エイリーク・ハーコナルソン]]の妻になった<ref>『ヘイムスクリングラ(二)』142頁(「第九十章 エイリークの東方への遠征」)。</ref>。また、妹の{{仮リンク|スュリ・ハラルズドッティル|en|Tyra of Denmark|label=スュリ}}<ref name="heim2" />(タイア、チューリとも)はブリスラヴ王の妻となった後、異教徒であった王を嫌って逃れ、[[オーラヴ1世 (ノルウェー王)|オーラヴ・トリグヴァソン]]の3番目の妻になった<ref>『ヘイムスクリングラ(二)』143-145頁(「第九十二章 ブーリズラヴ王の結婚」)</ref>。ほかに娘にエストリズがおり、デーンの伯ウルフと結婚し、息子はのちに[[スヴェン2世 (デンマーク王)|スヴェン2世]]としてデンマーク王となり[[エストリズセン家]]を開いた。