「三輪田勝利」の版間の差分

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=== 1998年のドラフト、突然の死 ===
1998年のドラフト会議において、オリックス・ブルーウェーブは[[新垣渚]]([[沖縄県立沖縄水産高等学校]])を1位指名したが、[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]と重複し、抽選で交渉権を獲得した。ところが、新垣は「ダイエー以外だったら([[九州共立大学]]へ)進学する」と発言し、オリックスへの入団拒否を表明した。三輪田は球団上層部に「新垣宅へ行ったものの(面会を)断られた」と報告したが、上層部は三輪田を厳しく叱責した。新垣側と球団の板挟みになった三輪田は心身ともに追い込まれ、[[1998年]][[11月27日]]に那覇市内で投身自殺した。享年53。遺書は発見されなかったが、遺体発見現場の状況や経緯から三輪田の死は自殺と断定され、[[1999年]]に[[労働災害]]が認められた。
 
この事件を週刊誌が数多く記事にし、その中には「ドラフト指名選手や関係者への口利きをする」などと自称する[[エージェント|代理人]]の存在や、ドラフト指名選手・関係者への口利きを口実にした詐欺行為の存在なども噂として書かれ、三輪田はこれに騙されたのではないかとする報道も見られた。各関係方面からの調査も行われたが、真相は定かではない。