「後光明天皇」の版間の差分

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[[天皇陵|陵]](みささぎ)は、[[京都府]][[京都市]][[東山区]]今熊野泉山町の[[泉涌寺]]内にある'''月輪陵'''(つきのわのみささぎ)に治定されている。公式形式は石造九重塔。
 
[[承応]]3年([[1654年]])[[9月25日 (旧暦)|9月25日]]、入棺。翌月15日、泉涌寺にて奉葬された。陵は石造九重塔である。この[[大葬]]の時、禁中に出入していた魚屋[[奥八兵衛]]の進言によって、従来の[[火葬]](荼毘)を改めて[[土葬]]の制を採用した。その後これ以降、歴にして[[後水尾西天皇]]から[[昭和孝明天皇]]まではまた火葬されたが、[[明治時代]]に宮中行事おけ全て仏式排除気運が高まったため[[明治天皇]]から[[土葬昭和天皇]]によって奉は土葬されている<ref>[http://sankei.jp.msn.com/life/news/131115/imp13111513400003-n1.htm 歴代の天皇、3分の1は火葬] - [[MSN]][[産経新聞|産経ニュース]](2013年11月15日 13:35版)</ref>。
 
また[[皇居]]では、[[皇霊殿]]([[宮中三殿]]の1つ)において他の歴代天皇・[[皇族]]とともに天皇の[[霊魂|霊]]が祀られている。