「アイルランド人」の版間の差分

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{{Infobox 民族
|group= アイルランド人 <br /> ''(Muintir na hÉireann)''
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3行目: [[ジョナサン・リース=マイヤーズ]]、{{interlang|en|Daniel O'Connell}}、[[ジェイムズ・ジョイス]]、[[コンスタンツ・マルキエビッチ]]、[[シャロン・コアー]]、[[パトリック・ピアース]]、[[マイケル・コリンズ (政治家)|マイケル・コリンズ]]
|poptime= '''Estimated 80,000,000 people who claim Irish ancestry'''推定8000万人がアイルランド系を主張する<ref name="Diaspora">[http://www.discoverireland.com/us/about-ireland/history/ The island history], discoverireland.com</ref>
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{{flagcountry|Republic of Ireland}}{{spaces|3}}4,500,000
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== 起源 ==
現在アイルランドに住む人々は大別して4つの起源を有すると考えられている。第1には[[氷河]]の後退により[[旧石器時代]]に最初にやってきた人類集団、第2には[[新石器時代]]に[[農業]]と[[巨石文化]]をもたらした人々、第3には[[青銅器時代]]・[[鉄器時代]]に[[ヨーロッパ大陸]]から渡来した人々([[ケルト人]])、そして第4には[[ヴァイキング]]、[[ノルマン人]]、[[イングランド人]]、[[ローランド地方|低地スコットランド]]人など[[中世]]から[[近世]]にかけてアイルランドに移住、植民した人々([[ゲルマン人]])である。
 
第1の民族、および[[ニューグレンジ]]などの[[巨石文化]]で知られる第2の民族についても、その名や使用言語がまったく明らかになっていないが、第2の民族は[[バスク語]]に近い言語であった可能性がある。紀元後になりアイルランド島の住民達は自身を'' Banba''''Fódla''''Ériu'' などの自称で呼ぶようになる。[[ヒベルニア]](Hibernia)は[[古代ローマ人]]によりつけられた名称である。
 
古代[[ローマ帝国]]後期になると'' Attacotti''''Scoti''、そしてゲールといった名称が用いられるようになった。ゲールとは[[ウェールズ語]]の襲撃者''」 (gwyddell'') に由来しており、最終的にアイルランド島の住民は自身を[[ゲール人]]と呼ぶようになる。
 
[[英語]]における'' Irish'' または'' Ireland'' という言葉は'' Érainn''、[[マンスター]]地方の中央部および南部に住んでいた民族に由来している。[[ブリテン島]]やゲール人との海上交易を行っていたこの民族の名がアイルランド島およびそこに住む人々全体へと用いられるようになった。
 
アイルランド人の[[Y染色体|Y染色体ハプログループ]]は[[ハプログループR1b (Y染色体)|ハプログループR1b]]が約90%と非常に高頻度に見られる。このタイプは[[巨石文化]][[欧州]]への[[農業]]導入に関連しており、上記の第2の民族がもたらしたと考えるが、その後、第3の民族ケルト人によっても二次的にもたらされたと考えられる。
 
== アイルランド人の人名 ==
19世紀から20世紀にかけてアメリカへと移住したアイルランド人の間で、[[アイルランド語]]で書かれ発音されていた人名を英語化することが行われた。今日でもアイルランド語、英語両方の名を持つ人々が存在する。
 
ゲール由来の家名には'' O’'' および''Mc'' [[マック (ゲール語)|Mc(少数は'' Mac'' または''Ma'') Ma)]]で始まる場合があるが、これはそれぞれ○○の孫、子孫を示す接頭語である。例えばアイルランド上王の[[ブライアン・ボル]](Brian Boru)の子孫は[[オブライエン(''O'Brien']](O'Brien)という具合である。''Mc'' については[[ハイランド地方|高地スコットランド]]の家名と同様に○○の子といった意味である。接頭語'' O'' で始まるアイルランド固有の名前としては : O、[[オニール]](O'NeillNeill)Oオブライエン(O'BrienBrien)O[[オコナー]](O'ConnorConnor)O[[オリアリー]](O'LearyLeary)O[[オショーネシー]](O'shaughnessyshaughnessy)O[[オドネル]](O'DonnellDonnell)O[[オトゥール]](O'TooleToole)O[[オメーラ]](O'MearaMeara)O[[オマリー]](O'MalleyMalley)O[[オハラ]](O'HaraHara)、O'Bradaigh、O[[オライリー]](O'ReillyReilly)などがある。
 
同様に Mc、Mac で始まる姓については、[[マクグローイン]](McGroyn)、[[マギンティ]](McGuinty)、[[マクスタフィン]](McStiofain)、[[マクドノー]](McDonagh)、[[マクドナルド (曖昧さ回避)|マクドナルド]](McDonald)、[[マックィラン]](McQuillan)、[[マッギネス]](McGuinness)、[[マゴニグル]](McGonigle)、[[マッカーサー]](MacArthur)、[[マックイーン]](McQueen)、[[マグワイア]](McGuire)、[[マクマホン]](McMahon)などがある。
同様に''Mc、Mac''で始まる名については : McGroyn、McGuinty、McStiofain、McDonagh、McDonald、McQuillan、McGuinness、McGonigle、MacArthur、McQueen、McGuire、McMahonなどである。
 
12世紀後半から13世紀にかけて[[ノルマン人]][[ウェールズ人]][[ブリトン人]]などがアイルランドを侵略して[[レンスター王国]]の一部を占領した。それから300年ほどの間に支配階級のアイルランド種族と通婚を繰り返し、現在"古来のアイルランド人よりもアイルランドらしい"と言及されるような文化を作り上げた。
 
こうした史実を背景に生じたのが'' Fitz'' を冠する家名である。''Fitz'' [[ノルマン語]]の子'' fis'' に由来する。''Fiz'' で始まる : FitzGeraldFitzSimmons[[フィッツジェラルド]](FitzGerald)FitzGibbons[[フィッツシモンズ]](FitzSimmons)FitzPatrick[[フィッツギボンズ]](FitzGibbons)FitzHenry[[フィッツパトリック]](FitzPatrick)、[[フィッツヘンリー]](FitzHenry)などである。
 
== 現代のアイルランド人 ==
[[北アイルランド]]では[[プロテスタント]]が多数派を占めているが、2001年の調査では[[カトリック教会|カトリック]]教徒が43.8%を占めている。1603年にアイルランドがイングランドの支配下に入ってから、[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]、[[オリバー・クロムウェル|クロムウェル]]、[[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィリアム3世]]などの治世に[[イングランド人]]、[[スコットランド人]]のアイルランドへの入植がアイルランド島北部の[[アルスター]]地方を中心として盛んに行われた。彼らはノルマン人とは違い、先住アイルランド人と通婚することが少なく、孤立したコミュニティを形成した
1603年にアイルランドがイングランドの支配下に入ってから、[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]、[[オリバー・クロムウェル|クロムウェル]]、[[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィリアム3世]]などの治世に[[イングランド人]]、[[スコットランド人]]のアイルランドへの入植がアイルランド島北部の[[アルスター]]地方を中心として盛んに行われた。彼らはノルマン人とは違い、先住アイルランド人と通婚することが少なく、孤立したコミュニティを形成していた。
 
アイルランドで民族主義運動が盛り上がるにつれ、カトリック教徒の[[ナショナリスト]]とプロテスタントの[[ユニオニスト]] ({{interlang|w|Unionism in Ireland}}) 間の対立が発生したが、現在では多くのアイルランド人はプロテスタント系のが存在するのが一般的である。
 
1920年の[[アイルランド統治法 (1920年)|アイルランド統治法]]と翌年の[[アイルランド自由国]]建国によりアルスター地方うち6州は[[北アイルランド]]を構成して、残りのアイルランドと分離した。今日の北アイルランドではプロテスタントはイングランドまたはスコットランド系の名字、カトリックはアイルランド固有の名字を持つ傾向にあるがこれには例外も多い。
 
== 海外への移住 ==
[[アイリッシュ・ディアスポラ]]'' {{interlang|w|Irish diaspora}}''と アイルランド島外に移住したアイルランド人たちをさす言葉である。[[ジャガイモ飢饉]]による食糧事情などの悪化によって[[移民]]になる者が急激に現れ、世界各国に移住した。移住先としては[[アメリカ合衆国]]、[[イギリス]]、[[カナダ]]、[[オーストラリア]]、[[ニュージーランド]]、[[アルゼンチン]]、[[南アフリカ共和国]]そして[[西インド諸島]]などである。これらの国々においてアイルランド系と見なされる人々の数は合計8000万人にもおよぶ。その成功例が[[ジョン・F・ケネディ]]大統領らを輩出した[[ケネディ家]]である。
 
ヨーロッパ諸国の他には[[アメリカ合衆国]]([[アイルランド系アメリカ人]])、[[アルゼンチン]]([[アイルランド系アルゼンチン人]])、[[チリ]]([[アイルランド系チリ人]])、[[ブラジル]]などにアイルランド人コミュニティが存在する。アメリカにおけるアイルランド系住民の合計は4400万人と見られており、これは[[ドイツ系アメリカ人|ドイツ系]]ぐ規模の民族集団である。[[ラテンアメリカ]]への移民は18世紀から19世紀にかけて行われた。[[アルゼンチン]]には50万人ものアイルランド系の人がいると見られており、[[チェ・ゲバラ]]や[[ベルナルド・オイギンス]](チリの建国の父)などもアイルランド系の血をひいている。
 
== 歴史上のアイルランド人 ==
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*[[エリウゲナ]] - 哲学者 [[877年]]死亡
*{{interlang|w|Maelruanaidh Mor mac Tadg}} - {{interlang|w|Moylurg}}王国の創始者
*{{interlang|w|Niall of the Nine Hostages}} - アイルランドの多くの王朝の祖先[[450年]]から[[455年]]の間に死亡
 
その他の人物については[[アイルランド人の一覧]]を参照
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== 外部リンク ==
* [http://myweb.tiscali.co.uk/heaven/dnairish.pdf.pdf Y染色体とアイルランド人の起源] ([http://www.nature.com/nature/journal/v404/n6776/full/404351a0_fs.html Nature, March 2000])
 
{{Celtic nations}}
{{アイルランド関連の項目}}