「ジョセフ・マッカーシー」の版間の差分
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これらの辞職により{{仮リンク|ジョセフ・B・マシューズ|en|J. B. Matthews}}が執行指揮者に任命された。マシューズは以前に「共産主義者戦線組織」を渡り歩いた経験の持ち主だったが、[[1930年代]]に急進的な傾向への嫌気から[[転向]]し過激な[[反共]]活動家となった。また[[メソジスト]]牧師でもあったことから「マシューズ博士」と呼ばれていたが、[[神学博士]]号はおろか神学校の単位を取っていなかった。後年マシューズは、「我々の教会のアカども」という文書のでプロテスタントの聖職者内の共産主義への共感を書いたために、複数の上院議員の怒りを買い執行指揮者を辞めざるを得なくなった。だがマッカーシーが小委員会での人事権について影響力を維持したことから、更に何人もの辞職者が生むことになる。
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マッカーシーが批判の矛先を米陸軍にまで向けたことが彼の命取りとなった。マッカーシーはまず陸軍内にスパイ網が存在すると主張したがそれを立証することができなかった。次にアメリカ労働党員であった歯科医で陸軍少佐のアーヴィング・ペレスが、自身の政治活動に関して軍当局に回答を拒否したために名誉除隊させられたことを取り上げた。マッカーシーはペレスがソ連のスパイであると主張し、軍法会議にかけるよう米軍参謀総長のロバート・スティーヴンスに圧力をかけた。
[[Image:Edward r murrow challenge of ideas screenshot 2.jpg|right|220px|thumb|エドワード・R・マロー]]▼
マッカーシーへの最も有名で、そして没落を後押しすることとなった攻撃は、ジャーナリストの[[エドワード・R・マロー]]による[[CBS]]テレビのドキュメントシリーズ「{{Lang|en|See it Now}}(今(それを)見よ)」における数回の番組であった。1954年に放送された番組内で、マローは[[ミシガン州]][[アメリカ合衆国空軍|空軍]][[予備役]]のマイロ・ラドゥロヴィッチ中尉が、「父親と妹が共産主義者だという内部告発があった」というだけの理由で、ミシガン州空軍からの除隊勧告を受けたことに対して異議を申し立てた。当然のことながらマッカーシーは自分の方針に沿ったこの空軍の決定に対し支持を与えていた。なお、このような番組を流す動きに対して空軍からCBSに対して圧力があったものの、マローらはこれをはねつけ放送を行った。▼
マッカーシーの厚顔無恥な攻撃に激怒した陸軍は反撃にでた。陸軍は、過去にマッカーシーの事務所で働いていて当時徴募されていた兵士デイヴィッド・シャインについて便宜をはかるようマッカーシーとコーンが軍に依頼していたことを暴露し、さらにコーンとシャインが同性愛の関係にあったとみられることをマスメディアにリークした。1954年4月から上院において陸軍・マッカーシー問題特別委員会が開かれこれがテレビで中継されたことで国民のマッカーシーに対する支持率は急落し、共和党政治家の中にもマッカーシーを見限る者が現れ始めた。
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またこの放送に続いて、1954年[[3月9日]]に放映された「{{Lang|en|See it Now}}」の30分間の特別番組「{{Lang|en|A Report on Senator Joseph McCarthy}}(ジョセフ・マッカーシー上院議員についてのレポート)」の中で、当時アメリカ中のあらゆる[[報道機関|マスコミ]]が、自分自身が赤狩りの標的になることを恐れてマッカーシーに対する批判を控えていた中で、強引かつ違法な手法で自らがターゲットとした個人や組織への攻撃を行うマッカーシーのやり方を鋭く批判した。この回の放送のほとんどはマッカーシー自身の過去の演説のクリップで、このクリップの中でマッカーシーは民主党を「20年間にわたる裏切り」([[1933年]] - [[1953年]])と非難し、陸軍大将を含む証人をどなりつけていた。
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