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| 故郷 =
| 居住地 =
| 没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1885|9|4|19711970|2|15}}
| 死没地 =
| 身長 =
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{{MedalBronze|[[アテネオリンピック (1896年)|1896]]|[[平行棒]]団体}}
}}
'''ディミトリオス・ロウンドラス'''('''Dimitrios Loundras'''、{{lang-el-short|'''Δημήτριος Λούνδρας '''|}}、[[1885年]][[9月4日]] - [[19711970年]][[2月15日]]<ref name="SportsReference">{{cite web|last = Gjerde|first = Arild|author2=Jeroen Heijmans |author3=Bill Mallon |author4=Hilary Evans |title = Dimitrios Loundras Bio, Stats, and Results|work = Olympics|publisher = Sports Reference.com|year = May 2014|url = http://www.sports-reference.com/olympics/athletes/lo/dimitrios-loundras-1.html|accessdate = 2014-05-31}}</ref>)は、[[ギリシャ]]の元[[体操選手]]である<ref>没年については、1970年説もある。</ref>。彼は、[[1896年]]に開催された[[アテネオリンピック (1896年)|アテネオリンピック]]の[[体操競技]][[平行棒]]団体で[[銅メダル]]を獲得した<ref>1896年のアテネオリンピックでは、3位の選手にはメダルではなく賞状が授与されていたが、獲得メダルの表示及び本文の表現は便宜上第2回以降と同様のものを用いている。</ref>。
 
== 経歴 ==
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アテネオリンピック出場当時のロウンドラスの年齢は10歳と218日であり、これは近代オリンピック史上で最年少のメダリスト及び最年少での参加記録とみなされている<ref>[[1900年]]に開催された[[パリオリンピック (1900年)|パリオリンピック]]のボート競技舵手付きペア競技で、オランダのチームの舵手(コックス)の体重が重過ぎたためにチームから外された。オランダのチームは、たまたま観客席にいた7歳から10歳ぐらいと見られるフランス人の男の子を舵手の代役として出場させ、優勝したため、この男の子が史上最年少のオリンピックメダリストではないかという説がある。しかし、この男の子は競技終了後、身元確認を受けることなく会場から姿を消してしまい、この男の子の正確な年齢はおろか名前さえも一切不明のままである。</ref>。
 
ロウンドラスはその後、1905年に海軍士官学校を卒業してギリシャ軍に入隊した。[[バルカン戦争]]及び2度の世界大戦を戦い抜いて[[海軍大将]]にまで昇進し、19711970年に没した。なお、彼は1924年から1932年の間と1949年から1960年の間の2回にわたって、ギリシャオリンピック委員会のメンバーを務めている。
 
== 脚注 ==