「マウリヤ朝」の版間の差分

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|『ガールギー・サンヒター』}}
 
マウリヤ朝最後の王は仏典によれば沸沙蜜多羅<ref>漢字表記法は一定しない。沸沙蜜多羅という表記は『雑阿含経』による。</ref>([[プシャミトラ]])、プラーナ聖典によれば{{仮リンク|ブリハドラタ・マウリヤ|en|Brihadratha Maurya|label=ブリハドラタ}}であった。これはブリハドラタとする説が正しいことがわかっている。プシャヤミトラはブリハドラタに仕えるマウリヤ朝の将軍であり、北西から侵入していたギリシア人との戦いで頭角を現していった。そして遂にはブリハドラタを殺害してパータリプトラに新王朝[[シュンガ朝]]を建て、マウリヤ朝は滅亡した。その時期は[[紀元前2世紀|紀元前180年]]頃であったと考えられている。
 
== 王朝名の由来 ==