「真珠庵」の版間の差分

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===重要文化財===
*方丈(本堂(方丈
*書院・通僊院(つうせんいん書院)(附 廊下) - 茶室・庭玉軒(ていぎょくけん)を含む。
*庫裏
*紙本[[水墨画|墨画]]竹石白鶴図 六曲一隻 伝[[狩野正信]]筆([[京都国立博物館]]寄託)
*紙本著色苦行釈迦像  伝蛇足筆 一休賛
*紙本墨画達磨像 墨渓筆 一休賛 - 一休の弟子と伝わる室町時代の画僧・[[墨溪]](ぼっけい)筆の[[達磨]]図で、上部には「禅の修業に励んだ達磨も、花が咲く故郷のインドの春を思ったのだろうか」という一休の賛がある。
*紙本淡彩[[臨済義玄|臨済和尚]]像  伝蛇足筆 一休賛
*紙本墨画白衣(びゃくえ)観音像 春浦宗熙賛
*紙本着色六祖[[慧能|大鑑禅師]]像
*紙本墨画真山水図  8面 伝蛇足筆(方丈西の間襖絵)
*紙本墨画花鳥図  16面 伝蛇足筆(方丈室中襖絵)
*紙本墨画草山水図  5面  伝蛇足筆(方丈書院の間襖絵)
*紙本墨画商山四皓(しょうざんしこう図  8面  伝[[長谷川等伯]]筆(方丈東の間襖絵)
*紙本墨画蜆子猪頭(けんすちょとう図  4面 伝長谷川等伯筆(方丈衣鉢の間襖絵)
*紙本墨画観音像 徹翁義亨賛
*紙本墨画山水図  墨斎筆 自賛
*絹本著色十一面観音像  [[宗峰妙超]]賛
*一休宗純像  4点
**紙本墨画淡彩一休宗純像 紹仙筆 - 反骨と風狂の禅僧一体の面目をいちばんよくしのばせる一休宗純像で、紹仙(じょうせん)は方丈に障壁画をのこした蛇足の息子だといわれる。
**絹本著色一休宗純像(梅花像)  応仁2年自賛
**絹本著色一休宗純像 自賛(附与宗臨像) - 上部には「風狂狂客起狂風」で始まる自賛が書かれている。
**絹本著色一休宗純像 成化21年張応麒賛
*紙本著色[[百鬼夜行絵巻|百鬼夜行図]] - さまざまな[[付喪神]]系の妖怪変化が夜の道を練り歩く[[百鬼夜行]]の説話を描いた絵巻であるが、詞書きは付されていない。百鬼夜行図としては現存する作例では最古級のものである。
*木造一休和尚坐像
*一休和尚自筆山門再興書状(四郎左衛門宛)2幅(附 法堂虹梁奉加帳)
*[[南浦紹明]](なんぽじょうみょう)墨蹟 法語
*一休宗純墨蹟 6点
**遺偈(ゆいげ) - [[文明 (日本)|文明]]3年([[1481年]])に88歳の生涯を閉じた一休宗純が死に臨んで書した遺偈(高僧が死に臨んで弟子・後世への教訓などを記した漢詩)である。「この世に私の禅を理解する者などありはしない。(祖師の)虚堂和尚がやって来ても半銭の価値もない」という意味の句から始まる。讃仰した中国の祖師・[[虚堂智愚]](きどうちぐ)和尚さえ所詮は半銭の価値もないと喝破した禅境に一休の面目がうかがえる。
**一行書 - 「諸悪莫作(しょあくまくさ)」「衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)」の2幅からなる一行書。[[七仏通誡偈]](しちぶつつうかいげ)の初めの2句を書したもので、「悪いことはするな、よいことをせよ」という意味である。
**徹翁示栄衒徒法語
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**示会下徒之法語
**遺誡
**辞世頌(遺偈(ゆいげ) - [[文明 (日本)|文明]]3年([[1481年]])に88歳の生涯を閉じた一休宗純が死に臨んで書した遺偈(ゆいげ、高僧が死に臨んで弟子・後世への教訓などを記した漢詩)である。「須弥南畔 誰会我禅 虚堂来也 不直半銭」(この世に私の禅を理解する者などありはしない。(祖師の)虚堂和尚がやって来ても半銭の価値もないという意味の句から始まるを書す。讃仰した中国の祖師・[[虚堂智愚]](きどうちぐ)和尚さえ所詮は半銭の価値もないと喝破した禅境に一休の面目がうかがえる。
*<small>(指定見込み)真珠庵文書(1,339通)81巻、43冊、10帖、45幅、927通、38枚(2016<ref>平成28度指定見込み、'''官報8月17日文部科学省告示を経て正式指定となる'''。)第115号</smallref>
*真珠庵枡  2口  永正十八年(1521年)銘、大永四年(1524年)銘
 
典拠:2000年(平成12年)までの指定物件については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。
 
=== 史跡・名勝(国指定) ===