「東京方言」の版間の差分

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== 概要 ==
東京方言の前身である江戸方言は、[[徳川家康]]入城後の江戸の発展に伴って成立した方言である。土着の[[西関東方言]]を基盤としているが、「江戸は諸国の入り込み」の諺どおり、日本各地から人々が集まったことから、様々な方言の影響を受けている。上方とは天皇の住む都を「上」とする事から用いられとりわけ文法面では、当時の中央語であった[[近畿方言|上方方言]]当時天皇が住んでいた京都、京都より遥か昔に天皇が住んでいた大阪や[[徳川氏]]ゆかりの三河など[[西日本方言]]の要素が多く混合した。また世界有数の人口を誇る巨大都市であったことから、町人や武家など階層別に様々な言葉遣いの違いが生まれた。こうした経緯から、東京方言は周辺の関東方言から孤立した[[言語島]]となっている。
 
江戸方言は、上方から取り入れた敬語の体系を発達させるなど洗練を深め、江戸時代後期には京都方言に代わる中央語としての地位を固めていった。特に[[明治維新]]以降、日本の首都が京都から東京に遷ったことで、東京方言は首都の言葉として「[[標準語]]」と位置づけられ、文芸活動を担う口語文体([[言文一致]]も参照)の基盤となり、近代国家を支える共通語として整備されていった。一方で、近世都市「江戸」から近代都市「東京」に変貌するなかで、階層ごとの言葉遣いの違いが衰退し、また京都や[[薩長土肥]]を始めとする他地方からの大量の人口流入によって、東京方言自体が大きく変質させられることとなった。