「大森健作」の版間の差分

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|背番号=
|利き足=左足
|年1=1994-1996 |クラブ1=[[横浜F・マリノス|横浜マリノス]]
|CAP数=
|出場1=13 |得点1=0
|代表ゴール数=
|年2=1997 |クラブ2=[[鹿島アントラーズ]]
|出場2=1 |得点2=0
|年3=1998-1999 |クラブ3=[[京都サンガF.C.|京都パープルサンガ]]
|出場3=14 |得点3=0
|年4=2000-2004 |クラブ4=[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]
|出場4=123 |得点4=1
|年5=2004 |クラブ5=→[[セレッソ大阪]] (loan)
|出場5=5 |得点5=0
|年6=2005-2007 |クラブ6=[[徳島ヴォルティス]]
|出場6=42 |得点6=0
}}
'''大森 健作'''(おおもり けんさく、[[1975年]][[11月21日]] - )は、[[愛媛県]][[西予市]](旧・[[東宇和郡]][[野村町]])出身の[[サッカー解説者一覧#札幌テレビ|サッカー解説者]]、[[スポーツキャスター]]、元[[サッカー選手]]。ポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]]。[[西予市]]立野村中学校、[[愛媛県立南宇和高等学校]]卒業。
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高校卒業後は[[横浜F・マリノス|横浜マリノス]]に入団。1995年の[[FIFAワールドユース]]カタール大会の日本代表に選出され試合にも出場するなど将来を嘱望されていたが、クラブでは出場機会に恵まれず、その後[[鹿島アントラーズ]]、[[京都サンガF.C.|京都パープルサンガ]]といったクラブを渡り歩く。
 
転機となったのは[[2000年]]の[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]への移籍であり、当時の監督[[岡田武史]]が直に電話をして獲得にこぎ着けた。本職は左[[ディフェンダー_(サッカー)|サイドバック]]でありながらストッパーもこなせる守備能力を発揮。この年から3バックの左ストッパーとして基本的には守備に専念、時折鋭い[[オーバーラップ (スポーツ)|オーバーラップ]]を見せるというプレイスタイルでレギュラーの座を獲得した。その後監督が替わりシステムが変化しても常にレギュラーの座にあり続け、また比較的若いチーム構成の中で選手の顔的な存在感も見せ、サポーターからの人気も大きかった。
 
[[2004年]]のシーズン途中、J1で低迷していた[[セレッソ大阪]]からのオファーに応え、J1への再挑戦の機会として[[期限付き移籍]]。シーズン終了後、C大阪、札幌とも再契約はせず、この年J2への昇格を決めた[[徳島ヴォルティス]]に移籍した。[[2005年]]、[[2006年]]はベテランとしてJ2入りしたばかりのチームを支えたが[[2007年]]は出場機会が無く、同年[[12月2日]]、現役引退が発表された<ref name="jsgoal2007">[http://www.jsgoal.jp/official/tokushima/00058067.html 大森 健作選手 引退のお知らせ[徳島]] [[J's GOAL]] 2007.12.02</ref>。
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*1997年 [[鹿島アントラーズ]]
*1998年 - 1999年 [[京都サンガF.C.|京都パープルサンガ]]
*2000年 - 2004年 [[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]
**2004年 [[セレッソ大阪]] (レンタル移籍)
*2005年 - 2007年 [[徳島ヴォルティス]]
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|[[1998年のJリーグ|1998]]||rowspan=2|[[京都サンガF.C.|京都]]||rowspan=2|19||14||0||3||0||0||0||17||0
|-
|[[1999年のJリーグ|1999]]||[[日本プロサッカーJ1リーグ|J1]]||3||0||0||0||0||0||3||0
|-
|[[2000年のJリーグ|2000]]||rowspan=5|[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]||rowspan=5|6||[[日本プロサッカーJ2リーグ|J2]]||38||1||2||0||4||0||44||1
|-
|[[2001年のJリーグ|2001]]||rowspan=2|J1||29||0||2||0||1||0||32||0
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== 関連項目 ==
* [[北海道コンサドーレ札幌の選手一覧]]
* [[徳島ヴォルティスの選手一覧]]