「リー・エンフィールド」の版間の差分

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1899年に、歩兵銃・騎兵銃共に小改良を加えて名称をそれぞれMLE MkI*、LEC MkI*としている。
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== Short Magazine Lee-Enfield MkI ==
[[Image:Short_Magazine_Lee-Enfield_Mk_1_(1903)_-_UK_-_cal_303_British_-_Armémuseum.jpg|thumb|right|300px|Rifle, Short, Magazine, Lee-enfield(SMLE)]]
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当時、短くなった銃身は議論の的になった。多くの銃職人、ライフル協会のメンバーは「短い銃身にすれば、MLE程の命中精度は期待できないだろうし、反動がかなり大きくなるし、有効射程距離がかなり短くなるだろう。」と心配していた。多くの専門家も「騎兵には長過ぎるが、正確に長距離射撃をするには短か過ぎる」と感じていた。
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== Short Magazine Lee-Enfield Mk III ==
[[画像:Lee-Enfield_Mk_III_(No_1_Mk_3)_-_AM.032056.jpg|thumb|right|300px|Rifle, Short, Magazine, Lee-enfield No.III(SMLE Mk.III)]]
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空気力学的に優れている新採用の"Mk VII高速弾"に適するように薬室にも改良が加えられた。
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=== Short Magazine Lee-Enfield MkIV ===
前の制式採用小銃であるMagazine Lee Metford (MLM)と、リーエンフィールド小銃の初期タイプである[[#Magazine Lee-Enfield|MLE]]と[[#Short Magazine Lee-Enfield MkI|SMLE MkI]]の多くはこのSMLE MkIIIの規格に改修された。
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新しい銃剣もこの銃の開発に平行して開発され、スパイク・バヨネットと呼ばれる銃剣が取り入れられた。これは“銃「剣」”という名前だが、本質的には先端がマイナスドライバーのように尖った棒を銃にしっかり固定されるようにしたものであり、兵士からは「豚を突付く棒」だとあだ名された。[[第二次世界大戦]]が終盤を迎える頃、銃への装着方法は同じだが、刃が付いた一般的な形の銃剣が開発・支給され、スパイク・バヨネットと同じくらいの数が使われた。
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== Rifle No.4 Mk I* ==
[[Image:Lee-Enfield Rifle.jpg|thumb|right|300px|Rifle No. 4 Mk I* - カナダ製]]
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[[:en:Irish_Army|アイルランド陸軍]]ではNo.4 Mk Iは戦後も使われ続けた。
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=== Rifle No.4 Mk 2 ===
第二次世界大戦から数年経ち、イギリス陸軍は'''Rifle No.4 Mk 2'''(1944年に公式名称で使う数字をローマ数字からアラビア数字に変更した。)を採用した。
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第二次世界大戦中、特殊部隊用に開発された消音カービン銃である。[[#Short Magazine Lee-Enfield Mk III*|No.1 Mk III*]]を元に、45口径の拳銃弾([[.45ACP弾]])を用い、弾倉は[[M1911]]ピストルの物をそのまま利用できるように改造した。
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== 7.62mm NATO弾バージョン ==
=== L8 ===
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1970代初期から英国警察に使用された、7.62x51mm NATO弾を使用する法執行機関向けバージョン。スポーター・スタイルの銃床を持ち外観はL39A1と類似していた。L42A1よりも軽い引き金が装備された。高品質の東独製Pecarベルリン 4-10x変倍光学照準器を装備していたが、光学照準器の取付台座は民間向けでありL42A1で使用されたNo.4 Mk1(T)用ネジ込み式台座とは異なっていた。L39A1で使われたものに類似した照準器がEnforcerにも取り付けられていた。L42A1用の7.62x51mm NATO弾弾倉が取り付けられている。767丁が製造された。
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=== Rifle 7.62mm 2A(Ishapore 2A)シリーズ - 最後のリー・エンフィールド ===
{{銃器|