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== 日本語表記 ==
[[ラインラント]]周辺では独特の綴りをもつ固有名詞<ref>{{Cite web |url=http://www.rheinische-landeskunde.lvr.de/de/sprache/namen/ortsnamen/schreibung+rheinischer+ortsnamendetailseite_205.htmhtml |title=Schreibung rheinischer Ortsnamen |publisher=[[:de:Landschaftsverband Rheinland|LVR]]-Institut für Landeskunde und Regionalgeschichte |accessdate=20142016-0708-1120 }}</ref><ref>[[:de:Rheinische Ortsnamen]], [[:de:Dehnungszeichen#Dehnungs-i]] を参照。</ref>があり、この都市名もその一つである<ref>「ui は特定の名称では長く、閉じられた ü {{IPA|yː}} で発音する:Duisburg {{IPA|ˈdyːsbʊrk}}, Juist {{IPA|jyːst}} 」({{Cite book | title = Das Aussprachewörterbuch | publisher = Duden | edition = 6 | page = 104 | isbn =978-3-411-04066-7}}</ref>。事典、辞書ではドイツ語の標準(規範)発音 {{IPA|ˈdyːsbʊrk}} をカタカナ転写した'''デュースブルク'''がもっぱら採用されている<ref>世界大百科事典 第2版、日本大百科全書、ブリタニカ国際大百科事典、百科事典マイペディア、大独和辞典、クラウン独和辞典、新アポロン独和辞典、マイスター独和辞典、プログレッシブ和英中辞典(第3版)、ジーニアス英和大辞典など{{See also|ノート:デュースブルク/過去ログ1#デュースブルク表記}}</ref>。一方で'''デュイスブルク'''と表記されることもあり<ref>[http://www.dus.emb-japan.go.jp/profile/japanisch/j_links.htm 在デュッセルドルフ日本国総領事館]、[http://m.japan.diplo.de/Vertretung/japan/ja/04-deutschland-und-japan/042-kizuna/01-ueberblick.html?r ドイツ大使館 ドイツ総領事館]、『記者ハンドブック 第12版 新聞用字用語集』(共同通信社)、『朝日新聞の用語の手引』、その他マスメディア等。{{See also|ノート:デュースブルク/過去ログ1#デュイスブルク表記|ノート:デュースブルク/過去ログ1#併記・併用}}<!--出典は適宜こちらからどうぞ[https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E3%83%87%E3%83%A5%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF&tbm=nws]-->等。</ref>、この他にも様々な表記がある<ref>「ジュイスブルク」「ジュースブルク」「ドゥイスブルク」「ドイスブルク」「デュイスブルグ」「デュースブルグ」「ジュイスブルグ」「ジュースブルグ」「ドゥイスブルグ」「ドイスブルグ」「デュイスバーグ」「デュースバーグ」「ジュースバーグ」「ドゥイスバーグ」「ドイスバーグ」「デュイスブール」など。</ref>。
 
== 地勢・産業 ==
[[ライン川]]と[[ルール川]]の合流地点に位置する工業都市。世界でも有数、ドイツ国内では最大<ref>{{Cite web|title=ドイツ連邦共和国概略|url=http://www.japan.diplo.de/Vertretung/japan/ja/01-Willkommen-in-Deutschland/03-bundeslaender/Bundesrepublik.html|publisher=ドイツ大使館 ドイツ総領事館|accessdate=2014-07-01}}</ref>の河港を有する。近隣の都市としては、約25キロ南に[[デュッセルドルフ]]、25キロ東に[[ゲルゼンキルヒェン]]、20キロ南西に[[クレーフェルト]]が位置する。約30キロ北西には、[[コロニア (古代ローマ)|古代ローマの植民市]]を起源とする[[クサンテン]]が位置する。
 
== 歴史 ==
ライン川とルール川の合流点という重要性に注目した古代[[ローマ帝国]]の集落が起源で、1世紀の遺跡が発見されている。その後、交易の場として発展し、1290年には[[帝国自由都市]]となり、15世紀初めには[[ハンザ同盟]]に参加した。しかし、17世紀後半には[[ブランデンブルク=プロイセン]]に支配されることとなり、帝国自由都市を称することも禁止された。
 
ここに大学設置を計画した[[ユーリヒ=クレーフェ=ベルク連合公国|ユーリヒ=クレーェ=ベルク公]][[ヴィルヘルム5世 (ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公)|ヴィルヘルム5世]]は、[[ゲラルドゥス・メルカトル|メルカトル]]を招いた。しかし、[[神聖ローマ帝国|皇帝]]と[[ローマ教皇]]による大学設置の許可がなかなか与えられないため、メルカトルは、1559年に設立された専門学校で教鞭をとっている。ヴィルヘルム5世が没した後の1655年にようやく大学が設置され、神学、法学、医学、哲学を擁し、デュースブルクは大学都市として発展した。しかし、1818年にプロイセンの[[フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム3世]]によって廃止され、大学図書館蔵書の大部分は、同年に[[ボン]]に新設された[[ライン・フリードリヒ・ヴィルヘルム大学ボン|ボン大学]]へ移された。現在デュースブルクにある大学は、その後の1891年に設立されたもので、2003年にエッセン大学と合併されて{{illm|デュースブルク=エッセン大学([[:|de:Universität Duisburg-Essen|Universität Duisburg-Essen]])}}となった。
 
19世紀以降は、[[産業革命]]が進展する中で、ライン川とルール川が交わり、石炭資源がある利点を生かし、工業都市として成長した。[[第二次世界大戦]]で荒廃したが、戦後復興を果たした。1975年、周辺の地域を合併して現在のデュースブルクが形成された。
 
== 文化 ==
[[メルカトル図法]]で知られる[[ゲラルドゥス・メルカトル]]がデュースブルクで没した。{{illm|ザルヴァトール教会 (デュースブルク)|label=聖ザルヴァトール教会|de|Salvatorkirche (Duisburg)}}に埋葬されている。
*1877年に設立された{{illm|ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団|label=デュースブルク・フィル([[:|de:Duisburger Philharmoniker|Duisburger Philharmoniker]])}}は、[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]の[[交響曲第9番 (ブルックナー)|交響曲第9番]]のドイツ初演を行ったことでも有名。1930年代には[[オイゲン・ヨッフム]]が音楽監督であった。
 
== スポーツ ==
*[[MSVデュースブルク]] - 当地を本拠地とするサッカークラブチーム。
*[[FCR2001デュースブルク]] - [[女子サッカー]]クラブチーム、[[サッカー日本女子代表|なでしこジャパン]]の[[安藤梢]]選手が一時在籍していた。
*[[:{{illm|フュクセ・デュースブルク|de:Füchse Duisburg|Füchse Duisburg]]}} - ドイツアイスホッケー3部リーグに所属しているアイスホッケークラブチーム。
 
== デュースブルク出身の著名人 ==
*[[ユルゲン・ヒングゼン]] - 陸上競技選手