「イワン・ヴィシネグラツキー」の版間の差分

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ヴィシネグラツキーは主として、実用的・実践的な理由からも、[[室内楽曲]]など小編成の[[器楽曲]]を創作した。とりわけ2台の四分音ピアノのための作品(中でも《演奏会用練習曲集》作品19、《2つのフーガ》作品33、《統合》作品49)や3台の六分音ピアノのための作品(《前奏曲とフーガ》作品30、《鼎談(''Dialogue à Trois'')》[[[1974年]]])のほか、6台の十二分音ピアノのための《虹(''Arc-en-Ciel'')》作品37などがある。さらに、四分音による[[弦楽四重奏曲]]が2曲([[1923年|1928]]〜[[1924年|24年]]作曲の作品13ならびに[[1930年|1930]]〜[[1931年|31年]]作曲の作品18)ある。ただし、[[1945年]]に着手され、[[1959年]]に脱稿した作品38は、伝統的な[[音律]]による弦楽四重奏曲である。単一楽章の[[弦楽三重奏曲]](作品53、[[1978年]])は四分音の楽曲だが、未完成に終わった。
 
ヴィシネグラツキーはこのほかに、四分音の和声法についての参考書『四分音による和声法のための手引き(''Manual d'Harmonie à Quarts de Ton'')』([[1932年]]パリ)や、超半音階技法を主題とする論文も出版した。微分音の組織化及び理論化で最も先端を走ってはいたが、楽器法や構成法はソナタ、弦楽四重奏、交響曲、前奏曲、交響的断章、など伝統的なジャンルで作曲し続けている。彼本人は「二台のピアノを12Hzづつずらす」<ref>アンリエット・ピュイグ・ロジェと藤井一興による24の前奏曲全曲世界初演(この演奏会は日本のスタジオ200で行われた)の際のプログラムノート。藤井本人もこのほかのコンサートでたびたび言及する。</ref>特殊な四分音<ref>高音域では計器による四分音とは確実に異なる。</ref>を求めたため、演奏の機会をほとんど得られていない
 
==主要作品==